第二〇四航空隊とは? わかりやすく解説

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第二〇四航空隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 07:57 UTC 版)

柴田武雄」の記事における「第二〇四航空隊」の解説

1943年昭和18年9月ラバウル展開する204航空隊204空司令着任しソロモン航空戦に参加204空司令として「大切なのは死なないこと、搭乗員補給ままならないので実戦になれてから戦果挙げろ功名焦って落とす前に落とされるな」と訓示した。一方で柴田特別攻撃隊必死特攻とは別物)と名付けた部隊編成し未熟者決死を強いる柴田考案の「緩降下衝突一秒前爆撃法」を採用した。これは練度の低い搭乗員指導したもので、敵の射撃回避せず低速降下して爆撃して命中率上げ戦法である。訓練を必要としないが高リスク多大な犠牲生んだ12月15日マーカス岬攻撃した帰還した大庭良雄制空隊長)は戦果小さいと報告山中忠男(爆撃隊長)は大戦果と報告し戦果はっきりしなかった。柴田現地から敵上陸用舟艇破片しきもの証拠として挙げ戦果物資満載の上陸用舟艇多数撃破炎上報告した。しかし実際連合側の被害はほぼなく上陸成功していた。 1944年昭和19年2月16日トラック基地敵機偵察があったが柴田らは気に止めず映画鑑賞をしてその日は寝た。しかし翌2月17日朝、敵空襲によって目を覚まし柴田急いで機体上空発進させる出撃した31機中10機ほどが帰還し18名未帰還。敵は戦闘機であったため空中被害大きく地上被害小さかった次の攻撃備え6機しか用意できない状態になり、しかも搭乗員小隊長以外初心者となった。続く敵来襲によって最後には1機になった。柴田によれば運に任せて空中退避目的にしたという。この柴田の上空発命令飛行隊長・倉兼義男大尉うろたえながら発進指示した指揮官として地上零戦を失うくらいな戦って失った方が得策でも、隊員はほぼ戦闘未経験者ベテランマラリアかかっており上がれば必ず落とされる状況だった。前田曹長拳銃向けて「こんな大群2、3機上がって何になる。てめえらはそんなに下士官殺したいのか。そんなに殺したきゃ死んでやるから見てろ」と言って戦闘機敵機体当たりし死亡した柴田によれば翌日自分出撃する気で自身考案した「超低空衝突一秒前奇襲爆撃法」を試すつもりでいたという。自己暗示午前2時に起床設定したが、爆撃残余の6機全て失う。柴田によれば後に酒巻宗孝から負けたとはいえ204空は勇敢で感状与えたいくらいと称賛されたという。しかしこの1日270機の機体喪失補給され最新零戦52100機も戦わず破壊された。主力204空再進出計画前に壊滅し解隊余儀なくされた。 7月10日解隊により呉鎮守府付になり内地帰還8月1日、第332海軍航空隊司令副長神風特攻隊志願者募っているが、山下雄飛行長によって熱望者の名前を握りつぶされている。10月15日海軍大佐夜間戦闘機月光配備第251海軍航空隊司令

※この「第二〇四航空隊」の解説は、「柴田武雄」の解説の一部です。
「第二〇四航空隊」を含む「柴田武雄」の記事については、「柴田武雄」の概要を参照ください。

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