神道内部の論争とは? わかりやすく解説

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神道内部の論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 20:03 UTC 版)

神社非宗教論」の記事における「神道内部の論争」の解説

1882年1月24日内務省通達に至るまで。 元々、「大教宣布の詔」により政府は「祭政一致」の政治目指していたが、教導職を巡る「仏教側」と「神道側」の争いから、「神仏合同布教禁止」され、それぞれの宗務行政内務省へと移された事から始まる。以下では、「祭神論争」から「祭政分離」に至る状況記述する祭政分離に関しては、神道側から提示されたものとされており、特に丸山作来らが主導していたとされている。 大教院解散受けて神道事務局設置されたが、1881年には伊勢派宮司である田中頼庸らと出雲派宮司千家尊福によって祭神論争生じ、これが明治天皇への勅裁を仰ぐにまで発展した。この混乱状況浄土真宗側は傍観しなかった、島地黙雷続き渥美契縁赤松連城等々理論家相次いで政府協力進言工作出たその主張は、島地黙雷の「神道宗教非ず」の理論継承してそれを政治勢力確認させ、国家儀式式典関与する神官には、一切宗教的言論教導宗教行為葬儀執行等)を禁ぜよと迫った。それは、「宗教的信条としての神道」が、国教となる道を全面的に封殺してしまうものであった神道側の第一提唱者が誰であったのかは判然としない。もともと宗教という語が、"Religion"の外国語の訳であって確たる概念定義がない。神道側は神道の事を、国の大教とか本教称していても「神道宗教一部なり」との説は無かった丸山作来らの非宗教論は、祭神論争などで神道分裂していく状況憂いて、それが当時新しい語法で言えば宗教的神学論争」に似ているので、その分裂を停止しなくては神道国家的地位を保つことができないというところから主張したものと考えられるこの中で内務卿山田顕義丸山作来らの神道側から提示され神社非宗教説採用したその後千家尊福布教を行うために、神道事務局離脱し出雲大社教創始した慶應義塾大学慶野義雄によれば、元々政府神社非宗教論提示したではなく仏教側が積極的に推進したものとされている。これは、当時の状況として宗教の定義を「布教葬儀を行うこと」であるからとした。慶野の説は、次のように言い換えることが可能である。教導職とは、葬儀儀式執り行う職制の事で、前述内務省一号記述される文言一致するためである。 現在の宮内庁には存在していないが、デジタル大辞泉の「宮内省」の項内に律令官制組織図があり、その中に治部省」に喪儀司という職制がある。この職制を、明治初期において神祇官中にいたものであると推定できるためでもある。

※この「神道内部の論争」の解説は、「神社非宗教論」の解説の一部です。
「神道内部の論争」を含む「神社非宗教論」の記事については、「神社非宗教論」の概要を参照ください。

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