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やまだ-あきよし 【山田顕義】
近代日本人の肖像 |
山田顕義 やまだ あきよし
山口生まれ。陸軍軍人、政治家。父は萩藩士。松下村塾に学ぶ。尊王攘夷運動に参加。戊辰戦争で活躍。明治2年(1869)兵部大丞に就任。4年(1871)陸軍少将に昇進、岩倉遣外使節団に随行。佐賀の乱、西南戦争に従軍し、反乱士族を鎮圧。11年(1878)中将。参議をつとめる一方、工部卿、内務卿、司法卿を歴任。第1次伊藤内閣の司法相に就任し、以後黒田内閣、第1次山県内閣、第1次松方内閣でも留任した。法典整備に尽力し、皇典講究所(現国学院大学)、日本法律学校(現日本大学)の設立にも関わる。
| キーワード | 陸軍軍人, 政治家 |
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山田顕義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/05 14:40 UTC 版)
山田 顕義[1](やまだ あきよし、天保15年10月9日(1844年11月18日) - 明治25年(1892年)11月11日)は、日本の武士(長州藩士)、政治家、陸軍軍人。通称は市之允、諱は顕孝、のち顕義と改めた。位階勲等は陸軍中将・正二位・勲一等。爵位は伯爵。初代司法大臣。
「日本の小ナポレオン」といわれ、明治維新期の軍人として新政府に貢献するとともに、新日本の建立者として、近代日本の法典整備に力を尽くした。
また、山田自らが所長を務めた皇典講究所においては、日本法律学校(後の日本大学)、國學院(後の國學院大學)を創設しており、とりわけ日本大学は彼を学祖としている。
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