神官書体と民衆書体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 22:08 UTC 版)
神官書体(ヒエラティックとも)は、ヒエログリフを簡略化して筆記用にしたものだが、その原型となる文字資料はヒエログリフと同じくらい古い。まとまった文章が表れるのは第4王朝時代頃からである。神官書体はおもに行政文書や商業文書に用いられた。パピルスや、石片や陶片(オストラカ)に、筆とインクを使って書かれた。石に彫られることはまれだった。 文字体系の組織はヒエログリフと一致し、神官書体で書いたものをヒエログリフに翻字することもできる。ヒエログリフの筆記体であると言える。はじめは縦書き(上から下)だったが、後に横書き(おもに右から左)に変化する。しかし、文字の向きが変わることはなかった。 その後簡略化がいっそう進み、紀元前第1千年紀前半に、神官書体から民衆書体(デモティックとも)が分化した。民衆書体では続け書きや略体が多用され、ヒエログリフとの間で文字ごとの対応づけをすることはもはや不可能である。紀元前600年ころから、宗教文書以外では完全に神官書体にとって代わった。民衆書体は日常的な文書にも用いられた。神官書体と民衆書体の名は、古代ギリシア語のヒエラティカ(神官の)とデモティカ(民衆の)に由来する。 民衆書体の書字方向は横書き(右から左)である。やはりパピルスやオストラカにインクで書かれたが、プトレマイオス朝時代には、ギリシアから入った葦のペンで書くことが多くなった。このころから、記念碑などの碑文にも使われるようになる。1799年に発見されたロゼッタ・ストーンは、ヒエログリフ、民衆書体、ギリシア文字のギリシア語の 3 種の文字体系で記されている。 今日では、エジプトヒエログリフやその神官書体、民衆書体を表記に使う言語はない。現在までに知られているもっとも新しい資料は、紀元後5世紀の民衆書体によるものである。この後、エジプト語やそれから派生した言語を表記する文字体系はコプト文字だけとなった。
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