せき‐どう【石×幢】
石幢
主名称: | 石幢 |
指定番号: | 014 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1913.04.14(大正2.04.14) |
国宝重文区分: | 国宝 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 延文六年七月在銘 |
員数: | 1基 |
時代区分: | 南北朝 |
年代: | 1361 |
検索年代: | |
解説文: | 南北朝時代の資料。 |
考古資料: | 日向国西都原古墳出土金銅馬具類 東大寺金堂鎭壇具 武蔵埼玉稲荷山古墳出土品 石幢 福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品 福岡県平原方形周溝墓出土品 筑前国宮地獄神社境内出土骨蔵器 |
石幢(保月山六面石幢)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/31 15:12 UTC 版)
「臍帯寺石幢及び石塔婆」の記事における「石幢(保月山六面石幢)」の解説
(位置) 数ある保月の石造物を代表する堂々たるもので、仏の威徳を称え先祖を供養するために作られたものである。「幢」とは、細長い幡(仏の荘厳具)であるが、この石幢は六方に幡を垂らした形を花崗岩製の六角柱で表している。笠に上に請花と宝珠がのるのが正式であるが、紛失して五輪塔の水輪から上がのせてあり、やや変形している。総高2.64m、幢身の径約50㎝であり、正六角柱の底部の一辺が25.5㎝、上部が24cmとやや上が細い。 第一面には、七仏と趣旨が刻まれ、他の面には一仏と銘文、最後の第六面に「願主沙彌西信結儀西阿 嘉元4年(1306年)10月24日 大工井野行恒 敬白」とある。各面の仏像はいずれも二重円光式の中に半肉彫りに彫られている。この石幢に彫られている仏は十二仏である。第一面の趣旨に「初七日より十三年に至る迄の十二尊像を彫り、仏道修行の道標にする」と刻まれており、鎌倉時代の当時、十二仏信仰であり、平安時代の十仏信仰から室町時代以後の十三仏信仰への過渡期を示す貴重な資料となっている。造立者は西信・西阿夫妻であり、作者井野行恒が有漢に残した最後の作品である。
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「石幢」の例文・使い方・用例・文例
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