白木屋大火
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「白木屋 (デパート)」の記事における「白木屋大火」の解説
日本の都市災害史に残る大火災のひとつ。1932年(昭和7年)12月16日午前9時15分ごろ、4階の玩具売り場で火災が発生。地下2階、地上8階の建物の4階から8階までを全焼して午後12時過ぎに鎮火した[要出典]。火災による死者が1人、墜落による死者が13人、傷者が67人という、日本初の高層建築物火災となった。 当時、白木屋は歳末大売出しとクリスマスセールが重なり、店内は華やかな飾りつけがなされていた。開店前の点検でクリスマスツリーの豆電球の故障を発見し、開店直後に男性社員が修理しようとした時、誤って電線がソケットに触れたためスパークによる火花が飛び散り、クリスマスツリーに着火。火は山積にされたセルロイド人形やおもちゃに燃え移り瞬く間に猛烈な火炎をあげた。この社員は消火活動をしているうちに煙に巻き込まれ一酸化炭素中毒で死亡した。4階にいた55人の客や店員は驚いて避難を開始したが、火の勢いはますます大きくなり、エレベーターや階段が煙突の役割をして4階から最上階の8階までが猛煙に包まれた。日本橋消防署の望楼勤務員がこの火災を発見し、ポンプ車29台、ハシゴ車3台などを出動させて消火活動にあたったが、ハシゴ車は5階までしか届かず、ポンプも送水圧力が上がらないため5階以上への放水はできなかった。 日本橋消防署に在籍していた器械体操の経験者が、消防車積載の梯子を外壁に垂直にかけてよじ登り、ロープで固定して避難ルートを作った上で被災者を誘導したが、[要出典]一部の客や店員らはパニックに陥り、売り場にある布やカーテンを結んでロープ代わりにしたり、女性店員の帯を結んで脱出を試み、途中で切れて転落死した。また、消防部が地上で張った救助ネットをめがけて7階から飛び降りて助かった客や店員が80人前後いたが、目測を誤って地面に激突して死亡した人もいた[要出典]。 これを教訓に、神田消防署に特別救助隊の前身となる「専任救助隊」が編成される。 白木屋店長は、客や従業員を誘導して屋上に避難し(階下に降りられなかったため)、客の生命を守った[要出典]。 この火災によってセルロイド製玩具の危険性が社会問題となり、各百貨店の玩具売り場からセルロイド玩具が一斉に姿を消した。しかし、他に代替できる素材が存在しなかったため、しばらくするとセルロイド玩具は再び販売されるようになる。火災以降、セルロイド不燃化や代替素材の研究開発が進められたが、実現したのは戦後になってからだった。 物理学者の寺田寅彦はこの火災を受けて「よほど用心しないと、デパートというものは世にも巧妙な大量殺人機械になる恐れが充分にある」と述べたが、それは千日デパート火災や大洋デパート火災などで繰り返されることになった。
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