発掘物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/27 22:57 UTC 版)
区画溝によって囲まれた大型木造建造物群や苑池(えんち)、倉庫などの跡が発見されている。これらの構造物は、古代の役所に多い細長い形状をしており、柵や溝によって整然と東西南北方向に区画され並んでいた。また備後国府瓦と呼ばれる紋様が施された瓦や国産の緑施釉陶器や海外製磁器などの高級調度品とともに、この地で文書行政事務が行われてきたことを示唆する須恵器製の硯や儀式用の土器、役人が使用していた銅製の私印などの遺物が出土している。木製のまじない道具である「人型」(ひとがた)や、国司の役職名である「権介」(ごんのすけ)と文字が残る墨書土器が出土している。これらの出土品は12世紀後半まで続いているが、13世紀になると急速に減っており備後国府が衰退したことを表している。
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発掘物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/30 10:11 UTC 版)
後期新王国の宰相イウティ(英語版)の墳墓が、エジプト考古学者シャフィク・ファリドによってブバスティスの「貴人の墓地」で1964年12月に発見された。 2008年以降、ドイツ=エジプトの「テル=バスタ・プロジェクト」が、ブバスティスでの発掘を指揮している。以前には、2004年3月に、よく保存されたカノプス勅令の写しがこの都市で発見された。
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