父親の県議当選と逮捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 04:54 UTC 版)
翌1979年、父親の薫が内田市長の全面協力を得て、県議選に自民党公認で立候補。「キク(喜久)かおる(薫)」をキャッチフレーズに選挙を戦い、トップ当選を果たした。当選後は内田市政と県政を結ぶパイプ役を自任。内田との密着度を深めた。 衆議院が解散した1980年5月19日、政治団体「明日の岡崎をきずく会」は内田の長男の内田康宏を無所属候補として擁立。内田の命を受けた同団体代表の浅井正三市議は5月20日、自民党市議29人にそれぞれ10万円を渡した。中根薫は協力を約束する一方で、「市長が、おんぶにだっこに肩車で息子をかつぎ出した」「後援会のカネを息子に使うのは末期的症状」と陰で揶揄した。内田も内田で、薫に対する疑いは晴れなかった。県議わずか1年目の薫が党規に背いてまで無所属の康宏を応援する保証はなかった。5月26日深更、内田と側近の岩瀬信一市議は滝山寺三門わきに車をとめ、薫の自宅を訪れた。1時間ほど雑談をしたのち内田が先に玄関を出る。岩瀬は現金500万円の入った袋をカーペットの上に置き、青木川沿いの暗い道を足早に消えた。薫は選対委員長に就き、選挙戦の陣頭指揮を執った。6月22日、総選挙執行。康宏は次点で落選。 自民党のみならず社会党の岡村秀夫市議にまで手を広げた買収工作は警察や反対陣営に筒抜けであった。そのため内田は6月27日に逮捕された。7月初め、内田の義弟は薫の自宅に保管してあった500万円を別の場所に移し替えるが、ほどなく証拠隠滅の容疑で逮捕された。7月10日、薫も公選法違反容疑で逮捕されるが、公判では一貫して無罪を主張した。 1981年4月、中根康浩は早稲田大学商学部に進学。1983年、薫は裁判中の内田の支援を受けて県議選に無所属で立候補し、得票数3位で再選。 1985年3月、早稲田大学を卒業。同年4月、戸塚進也衆議院議員の秘書となる。同年4月15日付で最高裁は薫の上告を棄却。薫は有罪判決(懲役2年、執行猶予5年、追徴金500万円)の確定前に県議を辞職した。 1988年10月、岡崎市議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。自民党系の会派「自由民主クラブ」に所属した。
※この「父親の県議当選と逮捕」の解説は、「中根康浩」の解説の一部です。
「父親の県議当選と逮捕」を含む「中根康浩」の記事については、「中根康浩」の概要を参照ください。
- 父親の県議当選と逮捕のページへのリンク