満州要塞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 08:34 UTC 版)
「要塞砲塔加農砲 (日本軍)」の記事における「満州要塞」の解説
この後、想定戦場が満州国境地帯に移り、陸軍は、ソ満国境に新設した国境守備隊の要塞砲台には、本土要塞の任務変更が生じた既存要塞に 対空・対潜水艦用に中小口径砲を新規投入し、遊兵と化す既存大口径要塞砲を玉突きで満州に捻出し、要塞砲の新規製造を抑えた。 国境要塞には、弾薬在庫は潤沢であるが、搬入難度が高く、改修工事担当が海軍工廠であり、工程が海軍の都合に大きく左右される保管転換海軍砲は、内陸の満州には持ち込まなかった。 そのため満州には、運用コストは高いが、陸軍独自で早期改修が可能であった試製四十一糎榴弾砲や、九〇式二十四糎列車加農を持ち込んでいる。 試製四十一糎榴弾砲には、砲塔四五口径四十糎加農と弾薬を共用でき、期待されるシベリア鉄道の新イマン鉄橋破壊効果を更に高めるために、被帽徹甲弾の炸薬量を増加し信管の一部改良した 改-被帽徹甲弾を開発し、既に富津射場で射撃試験を済ませてから渡満した。 昭和16年末、分解された試製四十一糎榴弾砲と、九〇式二十四糎列車加農は、東海道本線を経て鉄道輸送され、神戸港にて貨物船「辰福丸」に積載、大連港にて陸揚げされ、昭和17年1月には南満州鉄道上で組立と運行試験が行ったのち、虎頭要塞に配備された。 大東亜戦争が発生せず、更なるソ満国境要塞の建築や補強が続いていれば、その後の保管転換海軍砲 設置の可能性が無い訳ではないが、海軍工廠への改修工事発注であるため、海軍工廠の都合次第であり、実現にはかなりの時間と準備が必要である。 バーチャル戦記本に、戦争末期に虎頭要塞へ戦艦長門の40cm砲塔を持ち込む物語があるが、時間的にも、改修工事量、設置工事量的にも全く実現不可能であると言わざるをえない。
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