法人の変遷
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「日本交通公社 (公益財団法人)」の記事における「法人の変遷」の解説
ジャパン・ツーリスト・ビューロー 1912年3月12日 - 鉄道院運輸部営業課長の木下淑夫らが中心となり任意団体「ジャパン・ツーリスト・ビューロー(Japan Tourist Bureau、略称:JTB)」創立。初代幹事に鉄道院技師の生野團六が就任。 木下淑夫は、同年2月帝国ホテルでの発起人会で平井晴二郎鉄道院副総裁から「鉄道業者とホテル業者とが密接な関係を保持し……」とその目的を委託されていた。したがって、その事務所は、東京駅構内に置かれていた。 1913年 - 観光振興に寄与するため 邦文・英文両文による観光雑誌ツーリスト(tourist)を発刊。「旅の図書館」に保存されている。 1927年6月23日- 社団法人化される。 日本旅行文化協会(のちの日本旅行協会) 1924年 - 旅行関係諸団体の中央連絡機関として日本旅行文化協会(のちに日本旅行協会に改称)が設立される。事務局を鉄道省内に設置。後述の雑誌『旅』や『汽車時間表』を発行。 1924年 - 「日本旅行倶楽部」の名義で雑誌『旅』(新潮社)の刊行を開始した。日本旅行協会廃止の後はJTBが引き継いで刊行。 1925年 - 時刻表(現在の『JTB時刻表』JTBパブリッシング)を創刊する。 ジャパン・ツーリスト・ビューロー日本旅行協会〜東亜旅行社〜東亜交通公社 1934年10月 - 事業強化のため社団法人ジャパン・ツーリスト・ビューローと日本旅行協会が合併し、社団法人ジャパン・ツーリスト・ビューロー日本旅行協会となる。1935年当時の会員数は178名(うち名誉会員数40名)。名誉会長は鉄道大臣、会長は鉄道次官。専務理事は高久甚之介。 1941年8月 - 社団法人東亜旅行社に改称する。 1942年12月8日 - 財団法人東亜旅行社に改組する。 1943年12月1日 - 財団法人国際観光協会と合併し、財団法人東亜交通公社に改称する。
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