江戸初代
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画像提供依頼:顔写真の画像提供をお願いします。(2014年9月) 初代(自称8代目)林家 正楽(はやしや しょうらく、1896年11月18日 - 1966年4月15日)は日本の落語家、紙切り芸人。長野県出身。本名は一柳 金次郎(いちやなぎ きんじろう)。生前は日本芸術協会(現:落語芸術協会)所属。 1917年ごろに、4代目五明楼春輔(後の6代目林家正蔵)を訪ねる。正福と名乗ってセミプロとなる。1919年1月、「落語睦会」設立騒動時に、下地があると認められて二つ目となり「睦」の字にちなんで睦月家林蔵(むつきやりんぞう)を名乗る。1920年12月に6代目桂才賀襲名。この当時は噺家不足がきっかけの大量真打昇進があったため、「準真打」昇進だった。 新作落語の『峠の茶屋』『さんま火事』『壷』を作ったことで知られるが、出身地である信州の訛りが抜けず、落語家としては大成しなかった。 紙切りを披露するにいたったのは睦会の忘年会であった。それが好評となり、1923年の関東大震災をきっかけに、専業の紙切り師になるにいたった。1925年に正楽を名乗り真打となった。改名時には上方の6代目正楽が生存していたため、2人の正楽が並立していたことになる。 マッカーサー、スカルノ、昭和天皇の前で芸を披露したことがある。 1952年3月22日、東京放送会館で行われたNHKのカラーテレビ公開試験放送で紙切りを披露した。白黒テレビさえ本放送にいたっていない時期に、カラーテレビに出演した日本最初の芸人となった。 69歳没。弟子に林家今丸がいる。
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