民族音楽の影響
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新古典主義の風潮の下では、フランスにおいて新大陸から来た大衆音楽との結びつきが重視されたように、東欧諸国においても、主に旧オーストリア帝国に属していた地域では、再び民謡が楽曲素材として見直されるようになった(ただし、この傾向はブラームスにもあったことであり、また本質的に新古典主義者とは言いがたいヤナーチェクやシマノフスキも、自国の民謡研究の成果を自作に取り入れている)。 とりわけ注目されるのがハンガリーの作曲家であり、コダーイやバルトーク、レオ・ヴェイネルらは、それぞれの音楽思考に従って、民族音楽の要素と同時代の作曲技法を結合させた。ダリユス・ミヨーは、南フランスの民謡やユダヤ系の民族音楽・宗教音楽の要素を自作に取り込んでおり、また幅広い世界旅行の経験を生かして、ジャズやブラジルの民族音楽も利用した。アレクサンドル・チェレプニンは、カフカスや東アジアの民族音楽の要素を利用しただけでなく、これらの地域の民族音楽を研究して、チェレプニン音階と呼ばれる独自の音組織を編み出し、作曲に利用した。 またラヴェルも戦後の『クープランの墓』において、新古典主義音楽に明らかな関心を示していたが、『ボレロ』において、スペインの民俗舞曲と変奏曲形式を結び付けており、『ヴァイオリンソナタ』は擬古的な二重奏ソナタと複調性に、ジャズやブルースが巧みに融合されている。ファリャの『クラヴサン協奏曲』やエルネスト・ハルフテルの『ニ長調のシンフォニエッタ』、ロドリーゴの『アランフエス協奏曲』は、古典派音楽の簡潔さや明晰さと民族音楽の要素をつり合わせて作曲されている。 アストル・ピアソラによる一連の「クラシカルな」作品は、この流れの延長上にあると理解してよい。
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