死後のエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 15:34 UTC 版)
死亡直後の影響 尾崎の死後、尾崎のアルバムが急激に売れる現象が起こり、1992年(平成4年)5月25日付のオリコンアルバムチャートではTOP10中6作を尾崎が占める現象が起こった(1位『放熱への証』、4位『回帰線』、5位『十七歳の地図』、6位『LAST TEENAGE APPEARANCE』、7位『壊れた扉から』、9位『誕生』。なお、TOP10外に14位『街路樹』がある)。また、同年6月16日 - 17日の初の日本武道館ライブを含む全国コンサートツアーが予定されていたが、尾崎の死によって中止となった。しかし、その死を惜しんでチケットを手元に置くファンが多かったためか、払い戻しに来る人はほとんど居なかったとされる。 尾崎ハウス 尾崎が倒れていた足立区千住河原町の民家は、1人の女性ファンが毎日訪問したことをきっかけに、所有者が好意で1階の六畳間をファンに開放、「尾崎ハウス」と呼ばれてファンの交流の場になっていたが、2011年(平成23年)10月、建物の老朽化のため解体された。 教科書への掲載 その思想や活動、若者におけるカリスマ的人気から、中学・高校などの教育現場で長らくタブー視されてきた。死後10年以上経った現在では評価も変わってきており、高校教科書に顔写真や「15の夜」の歌詞が掲載されている(『高等学校 新倫理 - 人間とは何か 思索の糧に - 』 清水書院、2002年)。『新課程用 倫理用語集』(山川出版社、2005年)には、「尾崎豊」は用語頻度「3」で掲載され、「1980年代に活躍し、夭折したシンガーソングライター」「自ら作詞・作曲した歌の世界に没頭しながら全身全霊をこめて歌い」というように記述されている(ISBN 4634053500)。 海外でのカバー化 尾崎の代表曲である「I LOVE YOU」はアジアのみならず世界各国の歌手にカバーされ、カバー曲を含めた総売上は全世界で1,000万枚に達する。 遺書の公開 2011年(平成23年)11月9日、翌10日発行の『文藝春秋』に、尾崎の遺書とされる文書の全文が公開されることが報じられた。記事はジャーナリストの加賀孝英が執筆した。「遺書」の存在は1994年(平成6年)の月刊誌で既に報じられており、加賀が同年に入手していたが、尾崎の妻から「長男の尾崎裕哉が物心つくまで公表しないでほしい」と要請され、全文公開を控えていた。その後、裕哉が成人してアーティストとしてCMで歌声を披露したことや、上述の「尾崎ハウス」が解体されたことを契機として、初の全文公開に至ったとしている。 一方、NEWSポストセブンによると、1994年(平成6年)に本来なら未公開であるはずの「死体検案書」が一部のマスコミに流出して他殺説が噂されたり、当時尾崎の父親が署名を集め警察に再捜査を要請したなどの経緯もあることから、父親は遺書の公開についても真偽について疑念を抱いており、「いまとなっては、他殺だとは思ってないけど、あれは自殺ではない。豊じゃないからわからないけど、なんで死んだんだって…いまでも思ってます」と自殺であることを否定した。
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