死刑囚S
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:42 UTC 版)
「北九州市病院長殺害事件」の記事における「死刑囚S」の解説
加害者S・Y(以下「S」/釣具店経営)は1946年(昭和21年)10月19日生まれ(事件当時33歳)。本籍地は北九州市小倉北区昭和町850番地の2、住居は小倉北区木町一丁目。事件当時は、「徳力釣具店」(小倉北区片野三丁目)を経営しており、妻と2人で平穏に生活していた。 Sは福岡県行橋市出身で、幼少期に病弱の父親と別れて生活し、母親によって女手1つで育てられた。幼少期に基本的な生活習慣・社会性が十分涵養されないまま生育し、高校時代に喧嘩や恐喝事件を起こしたが、成人後は(後述の新北九州信用金庫曽根支店への恐喝未遂事件を起こすまで)重大な前科・前歴はなかった。 1965年(昭和40年)に高校を卒業し、その後、国鉄の行橋機関区に整備係として就職したが、半年で退職し、鮮魚仲買業に転職した。その経営者の娘(前妻)と結婚し、1児の父になると、独立して飲食店を経営するようになったが、その店の従業員である女性と同棲するようになり、前妻と離婚した上で再婚。1971年(昭和46年)から「徳力釣具店」を経営するようになり、一時期は「北九州釣具店協同組合」の小倉支部長を務めていた。なお、1970年(昭和45年) - 1973年(昭和48年)ごろにかけ、「Oクリーニング店」(小倉南区徳力)の近くに在住しており、1971年ごろには妻が同店を利用していたことがあった。 事件後、獄中で熱心に写経に取り組み、控訴審判決までに17冊を書き上げていた。上告審判決前には、拘置所へ面会に来ていた弁護人に対し、母親(当時70歳代で、小倉北区内で一人暮らししていた)を気遣い、「お母さんのために何とか生きていたい」と涙ながらに訴えていた。
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