死刑囚Bの死刑執行まで
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「名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件」の記事における「死刑囚Bの死刑執行まで」の解説
2007年9月、当時の法務大臣・鳩山邦夫は「刑事訴訟法では死刑確定から半年以内の死刑執行が規定されているが、実際には履行されていない。その現状は正義に反する」という考えから、「死刑を自動的に執行できる方法はないか」という、いわゆる「ベルトコンベヤー発言」をし、物議を醸した。 死刑囚Bは死刑執行前の2008年(平成20年)春、鳩山宛に苦情を申し立てた上で、「(自らの臓器提供などで)救ってあげられる人がいたら、自分の贖罪にもなる」として、死刑囚が執行後に臓器提供をできる制度の制定などを求めた。しかし鳩山はBの死刑執行後、『東京新聞』の取材に対し「Bの名前に覚えはない」と回答した。 同年、参議院議員・福島瑞穂ら弁護士・識者らが死刑囚を対象に実施したアンケートで、死刑囚Bは「私は『自分が生きているうちに死刑廃止はない』と思い、鳩山法相(当時)に『死刑囚から願い出があった時は、臓器移植・検体ができる制度を法制化していただけるよう』、昔でいう請願をしました。それから1年が経とうとしますが、未だ返信がありません」、「死刑執行の際に死刑囚の実名が公表されると、死刑囚の親族の生活が穏やかでなくなります。私から鳩山さんを見ましたら違った意味で死神に見えます。『今日、何人の死刑が執行された』だけの発表でよいのではないでしょうか」と回答した。 死刑確定から1年となる2008年5月1日、死刑囚Bと養子縁組していた「養母」の支援者女性が末期癌のため、入院先の病院で死去した。 「Bは『もう死刑でいい』と発言してはいるが、本心では死刑執行を恐れている」と感じ取った上告審の国選弁護人・湯山孝弘は、養母の死去から半年後の2008年12月、死刑囚Bの恩赦を出願した。その後、翌2009年(平成21年)5月には死刑囚Bから湯山宛に再審請求を望む趣旨の内容の手紙が届いたが、湯山が「まだ恩赦の結果が出ていないし、再審請求となれば新証拠が必要となるため軽々には踏み切れない」として、面会でBから真意を尋ねたところ、Bは「一時の気分で言っただけで本心から望んではいない」と回答した。 2010年(平成22年)9月に「恩赦不相当」の結果が出たため、湯山は死刑囚Bと面会を続けていた牧師の「Bは事件当時とは別人と言ってよいほど更生している」とする上申書を添え、直ちに2度目の恩赦出願をしたが、死刑執行の5カ月前となった2012年(平成24年)9月に棄却された。
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