橋本 淳
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芸名 | 橋本 淳 |
芸名フリガナ | はしもと あつし |
性別 | 男性 |
生年月日 | 1987/1/14 |
星座 | やぎ座 |
干支 | 卯年 |
血液型 | A |
出身地 | 東京都 |
URL | https://www.amuse.co.jp/artist/A0112/ |
ブログURL | https://ameblo.jp/hashimoto-atsushi/ |
プロフィール | 2004年にドラマ「WATER BOYS2」でデビュー。「連続テレビ小説ちりとてちん」(2007-2008)でヒロインの弟・正平役。舞台では、宮田慶子、栗山民也、鄭義信、宮本亜門、白井晃、永井愛、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、深津篤史、森新太郎、小川絵梨子、山内ケンジ、河原雅彦、福原充則、加藤拓也など、様々なジャンルの演出家の作品への出演が続いている。 |
代表作品1年 | 2024 |
代表作品1 | Amazonプライムビデオ『1122 いいふうふ』 |
代表作品2年 | 2024 |
代表作品2 | フジテレビ『Re:リベンジ-欲望の果てに-』 |
代表作品3年 | 2024 |
代表作品3 | テレビ東京『推しを召し上がれ~広報ガールのまろやかな日々~』 |
職種 | 俳優・女優・タレント |
好きなスポーツ | 弓道/サッカー/水泳 |
趣味・特技 | 弓道/カメラ/読書/映画鑑賞/スポーツ/殺陣/サッカー/水泳/阿波踊り |
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橋本淳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 06:01 UTC 版)
橋本 淳
一覧
- 橋本淳 (作詞家)(はしもと じゅん)
- 橋本淳 (サッカー選手)(はしもと じゅん)
- 橋本淳 (俳優)(はしもと あつし)
- 橋本淳 (サックス奏者)(はしもと じゅん、1902年 - 1987年[1])
- 日本のジャズミュージシャン、サクソフォーン奏者[1]。
- 1902年(明治35年)に京都府京都市で出生[1]。満州国奉天市へ移住し、満鉄が経営する商業学校を卒業[1]。バイオリンを始め、高田実の劇団バンドに参加する[1]。1924年(大正13年)頃に日本へ帰国し、大阪市塚本で本格的にバイオリンを習う[1]。1926年(大正15年)に上海へ渡り、サクソフォーンを習得してダンスホールに出演[1]。1930年(昭和5年)にコロムビア・オーケストラに参加してその中心となる[1]。
- 第二次世界大戦終戦後は「ニュー・パシフィック」「スター・ダスターズ」などのジャズバンドで活動[1]。没年前年の1986年(昭和61年)秋まで、70歳以上の奏者による「ダンディー・ボーイズ」で日本最高齢の現役ジャズマンとして活躍した[1]。1987年(昭和62年)1月15日没[1]。
- 橋本淳 (宗教学者)(はしもと じゅん、1935年 - [2])
- 日本の宗教学者、キェルケゴール研究者[3]。元関西学院大学神学部教授[3]。日本宗教学会所属[3]。
- 1958年に関西学院大学神学部卒業(神学専攻)[3]、1960年に関西学院大学大学院神学研究科修士課程修了(宗教哲学専攻)[3]。1969年から1970年にかけてデンマーク政府の招聘により、コペンハーゲン大学神学部キェルケゴール研究所客員研究員として学び、その後もデンマークを訪問して研究を行う[2]。
- 1963年から1968年まで大阪外国語大学非常勤講師を務め[3]、1968年に四国学院大学文学部助教授に就任、1972年に同大学教授に就任[3]。1977年から関西学院大学神学部教授に就任[3]。また、1979年から1980年まで信州大学人文学部講師、1986年から1987年まで京都大学文学部哲学科講師、1998年から1999年まで大阪大学講師を歴任[3]。関西学院大学を定年退職後、2011年まで関西福祉科学大学社会福祉学部教授を務める[2]。
- 1980年に「セーレン・キェルケゴール・アカデミー」終身会員となる[3]。1990年に日本キリスト教学会理事、1999年に日本キェルケゴール研究センター代表理事に就任[3]。2000年にデンマークの「セーレン・キェルケゴール・リサーチセンター」日本委員に就任[3]。
脚注
[続きの解説]
「橋本淳」の続きの解説一覧
- 1 橋本淳の概要
- 2 関連項目
固有名詞の分類
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