極右活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 09:57 UTC 版)
「テルトウ=フレーミング郡」の記事における「極右活動」の解説
テルトウ=フレーミング郡は、一般的な見地によればブランデンブルク州の右翼活動の拠点ではない。被害者相談センター「被害者の視点(ドイツ語版)」の2006年の統計では、郡内の極右の背景を持つ襲撃事件は11件が記録されている。これまでのところ組織的な活動は目立たないものの、2005年初めから極右主義者の一部、いわゆる「テルトウ=フレーミング自由勢力 (Freie Kräfte Teltow-Fläming, „FKTF“)」がこれに変化を挑んだ。FKTFは、極右の若者や年長少年の15人から成る連合であり、出身は主に本郡北部である。ベルリンや隣接のダーメ=シュプレーヴァルト郡の極右集団と非常に良好な関係を持っていた。ブランデンブルク州内務大臣ディートマー・ヴォイトケ(ドイツ語版)は、2011年4月11日にこれを禁止した。 2008年6月21日にケーニヒス・ヴスターハウゼン(ドイツ語版)ではドイツ国家民主党 (NPD) の郡支部「ダーメラント (Dahmeland)」が設立され、その管轄範囲は、テルトウ=フレーミング郡とダーメ=シュプレーヴァルト郡としている。現在の活動拠点は、ブランケンフェルデ=マーロウ(ドイツ語版)、ツォッセン(ドイツ語版)、ルートヴィヒスフェルデ(ドイツ語版)であり、NPDが2008年9月に市議会選挙で1議席を獲得している。またルッケンヴァルデ(ドイツ語版)では、2009年5月23日に極右主義者がデモを開催し、参加者は約200人であった。 右翼に対抗するために、1999年以来、ワーキンググループ「テルトウ=フレーミング暴力反対 (TF gegen Gewalt)」が活動している。これは、州が支援する行動指針「寛容なブランデンブルク」に基づき設立されたものであり、これを本郡で実践することを目的としている。暴力、極右主義、外国人嫌悪に対する行動指針は、既に1998年の夏に州政府によって決定された。ワーキンググループは、これらの問題の意識を高め、暴力と不寛容のすべてに反対することを目指している。ワーキンググループは、テルトウ=フレーミング郡全域で活動し、地域社会、団体、市民団体、学校の責任者を活動対象としている。様々な団体の代表者が加盟し、白い輪協会 (Weiße Ring e. V.)、福音派教会、ルートヴィヒスフェルデとルッケンヴァルデの女性避難施設などである。 1996年6月16日には、英国人の建設作業員ノエル・マーティン(ドイツ語版)がマーロウ(ドイツ語版)で極右主義者に襲われ、半身不随となっている。以来、メディアと世論は極右主義を特に批判的に注視している。ディーター・マンツケ(ドイツ語版)は、2001年8月10日にダーレヴィッツ(ドイツ語版)で若者グループに襲撃され、死亡した。 2008年11月20日にはツォッセン(ドイツ語版)で、第二次世界大戦中に迫害されたユダヤ人を追憶するストルパーシュタイン(つまずきの石)の敷設中に、ホロコースト否認派でインターネット・カフェを経営するライナー・リンク (Rainer Link) が市職員の一人を襲撃した。この事件によって、ツォッセンはドイツ全国の耳目を引いた。一か月後、ツォッセンでは2008年12月17日に国民社会主義の犠牲者のための追悼式典が開催されたが、ネオナチはこれを妨害し、またホロコースト記念日(2009年1月27日)にはツォッセンのマルクト広場で集会を開催した。2009年7月5日には、ネオナチは暴挙に出て、市民運動「素顔のツォッセン (Zossen zeigt Gesicht)」活動家の家に「民族の裏切者 (Volksverräter)」「左翼のブタ (linke Sau)」と殴り書きを行った。
※この「極右活動」の解説は、「テルトウ=フレーミング郡」の解説の一部です。
「極右活動」を含む「テルトウ=フレーミング郡」の記事については、「テルトウ=フレーミング郡」の概要を参照ください。
- 極右活動のページへのリンク