東京仏学校とは? わかりやすく解説

東京仏学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/21 09:36 UTC 版)

東京仏学校 (とうきょうふつがっこう) は、1886年明治19年)に設立された、フランス学(仏蘭西学、略して「仏学」)および法律学を修めるための旧制高等教育機関。現在の法政大学の前身校の一つ。


  1. ^ 「仏学会設立主意書」
  2. ^ a b 「仏学会経費収入支出表」(明治19年10月-同20年10月、明治20年11月-同21年10月)
  3. ^ 『官報』第1534号「告示」、明治21年(1888年)8月9日
  4. ^ 『東京日日新聞』 明治22年(1889年)8月13日
  5. ^ 「東京仏学校東京法学校合併ニ付両校間契約ノ事」
  6. ^ 『官報』第1860号「告示」、明治22年(1889年)9月9日
  7. ^ 「日仏協会沿革」


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東京仏学校

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法政大学の人物一覧」の記事における「東京仏学校」の解説

「東京仏学校」および「仏学会・東京仏学校の設立」も参照 辻新次初代文部次官)・古市公威帝国大学工科大学初代学長)・長田銈太郎外交官明治天皇通訳)・山崎直胤内務省初代県治局長)・平山成信(後の宮中顧問官枢密顧問官)・寺内正毅(後の第18内閣総理大臣元帥陸軍大将)・栗塚省吾(後の大審院部長判事)ら仏学会関係者により創立された。 仏学会 初代会長辻新次名誉会員には伏見宮貞愛親王徳川昭武第15代将軍徳川慶喜の弟、水戸藩11藩主)、徳川篤敬水戸徳川家第12代当主)、鍋島直大佐賀藩11藩主)、蜂須賀茂韶徳島藩第14代藩主)、太田資美掛川藩第7代藩主)、大木喬任元老院議長枢密院議長)、山田顕義司法大臣)、ボアソナード日本政府顧問)等

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