来日以後とは? わかりやすく解説

来日以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 18:04 UTC 版)

ヘンリー・S・パーマー」の記事における「来日以後」の解説

1883年中佐として来日神奈川県より横浜上水道建設計画依頼を受け、3ヵ月実地測量から計画まで完成させて多摩川取水計画相模川取水計画の2案を県に提出して帰国する翌年神奈川県から招聘され1885年大佐として再来日水道工事全て任されると、水源相模川支流道志川とし野毛山配水池に至る総延長48kmの横浜水道建設着工顧問師長として指揮にあたる。翌年1887年少将昇進翌年定年退職し、2年に及ぶ工事完了日本初近代水道完成させた。 その後日本落ち着き1888年には内務省土木局名誉顧問技師として勅任官待遇を受け、横浜港築港計画工事監督として指揮した東京水道会社計画各地港湾設計などにも関与するまた、請われ兵庫県淡河川疏水計画にも参画し、特に御坂サイフォン橋設計著名である。 1890年日本人女性斉藤うたと再婚、娘をもったが、1893年脳卒中東京麻布自宅にて54歳死去青山霊園青山外国人墓地埋葬された。 日本滞在中は、ジャパンタイムズなどの英字紙寄稿するほか、タイムズ通信員として日本情報発信豊富なイラスト入りの『Letters from the Land of the Rising Sun日出ずる国からの手紙)』も執筆、死の翌年出版された。 1987年には横浜水道創業100年記念して野毛山公園(旧野毛山配水池)にブロンズ胸像立てられ横浜開港資料館では特別展開催された。

※この「来日以後」の解説は、「ヘンリー・S・パーマー」の解説の一部です。
「来日以後」を含む「ヘンリー・S・パーマー」の記事については、「ヘンリー・S・パーマー」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「来日以後」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「来日以後」の関連用語

来日以後のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



来日以後のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのヘンリー・S・パーマー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS