木造宝誌立像とは? わかりやすく解説

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木造宝誌立像

主名称: 木造宝誌立像
指定番号 3473
枝番 00
指定年月日 1998.06.30(平成10.06.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  中国六朝時代の僧で、盛んに予言をし、神通威神の術を行う僧として著名な宝誌和尚四一八-五一四)の像である。宝誌に関する説話諸書残っているが、本像はなかでも面を裂き十二観音容貌現したという奇跡に基づき面部中央縦に割れるよう開いた面部の中からは頭上面を頂いた菩薩面をあらわす。
 宝誌像の製作は、中国において古くからみられ、寺院壁画などに数多く描かれていたというが、遺品では、晩唐の作とみられる敦煌千仏洞壁画第一四七窟)に描かれ三重布帽を著した老貌の像や、本像と同種の人物描かれる京都・大徳寺旧蔵五百羅漢図(淳煕五年〈一一七八〉、周季常庭珪筆)中の「応身観音図」(現ボストン美術館)などがその代表的遺品挙げられるわが国においても、大安寺に戒明が中国より持ち帰ったという本像と同様な形姿宝誌木像安置されていたことが『延暦僧録』等から知られる
 本像は、ヒノキの一材から頭体幹部を彫成した一木造の像で、彫眼、素地現す頭頂から像底地付に至る頭体幹部を両前膊を含み縦一材より彫出し、木心は中央やや左前方にこめる。像の表面はほぼ全面に鑿痕を残す、この種のいわゆる鉈彫像は平安時代東国中心に流行したとされるが、本像も伊豆国から伝えられたことが西往寺所蔵縁起から明らかである。この縁起によれば、本像は西往寺以前伊豆国庭冷山に安置されていたと記されており、光舟が貞享四年(一六八七)仲秋正日伊豆国山中から西往寺移してきたという。現在、伊豆地方には庭冷山と同音天嶺山が賀茂郡にあり、本山これに当たる可能性がある。天嶺山の北の麓には、一群古仏伝え南禅寺があるが、本像の下半身長大表現浅く平坦に整えられ衣文彫り口が同寺の木造地蔵菩薩立像梵天・帝釈天立像などに類似する点も注目される。ただ総じて衣文線の鎬はなだらかになり、製作年代平安時代後期一一世紀ころと考えられる
 本像は、特異な相貌を示す宝誌肖像彫刻として著名なのであるが、その遺品きわめて少なく彫像として現在知られる唯一の古例として貴重である。



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