最初の旅行、1852年–1853年
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「クレメンツ・マーカム」の記事における「最初の旅行、1852年–1853年」の解説
1852年夏、海軍の任務から解放されたマーカムはペルーへの長期旅行の計画を立てた。父からは500ポンド(2008年換算で4万ポンド)を贈られて支援され、8月20日にリヴァプールを出港した。 マーカムは回り道をして行った。まずノバスコシアのハリファックスに渡り、陸路ボストンからニューヨークに進み、そこからは蒸気船でパナマに行った。パナマ地峡を通り、カラオまでは船で10月16日に到着した。1852年12月7日にはペルーの内陸に向かい、アンデス山脈を越えて、インカの古代都市クスコに向かった。その途中でアヤクーチョの町には1か月近く留まり、土地の文化を研究しケチュア人に関する知識を増した。その後クスコに向かって進んだ。激流アプリマック川の上300フィート (90 m) に掛かる旋回橋(アプリマック橋)を渡った後、マーカムとその隊は肥沃な谷を過ぎ、最後は1853年3月20日にクスコに到着した。 マーカムはこの都市に数週間留まり、インカの歴史を調べ、その日誌には訪れた多くの建物や遺跡について記した。近くの町や遺跡に行く間に、サンミゲル、ラマー、アヤクーチョなどを訪れ、そこでキニーネの材料になるキナが近辺で栽培されていることを初めて知った。クスコは5月18日に離れた。同行したのはマーカムと同様リマに戻る6人の隊だった。その行程はまず南に向かい、山から降りてアレキパの町に行った。そこは後に原住民とヨーロッパの建築が混在した「植民地開拓地の傑出した例」と表現していた。町からは火山のミスティ山が望まれ、マーカムはその形から日本の富士山に擬えた。6月23日、マーカム達はリマに到着し、そこでマーカムの父の死を知った。マーカムは即座にイングランドに向けて出発し、9月17日に到着した。
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