暦法の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 21:33 UTC 版)
全て太陰太陽暦である。渋川春海が独自の思想にもとづき神武天皇即位紀元まで遡って「日本長暦」を編纂し、それまでの期間の暦を定めたため、それが例えば皇紀や紀元節などの典拠ともなっているが、一般には以下に挙げる暦よりも前にそのような暦があったとは考えられていない(江戸期において、すでに本居宣長が否定している)。 古代から江戸時代初期までは、各時代の中国暦を輸入したものが使われていた(宣明暦以降は輸入が途絶え、そのまま使っていた)。江戸期において、西洋暦も参考にした日本人による暦が作られ始めた。明治改暦により、グレゴリオ暦1873年(明治6年)1月1日からはグレゴリオ暦が使われ、2019年(令和元年)現在に至っている。 元嘉暦(げんかれき) - 6世紀頃朝鮮半島の百済から伝えられた宋の時代の中国暦である。 儀鳳暦(ぎほうれき) - 中国暦で690年から元嘉暦と併用された。697年からは単独で使用された。 大衍暦(たいえんれき、だいえんれき) - 中国暦で764年から861年まで使われた。 五紀暦(ごきれき) - 中国暦で781年に日本に紹介されたが単独で使われることはなかった。 宣明暦(せんみょうれき) - 中国暦で862年から1685年まで使用された。 貞享暦(じょうきょうれき) - 初めて日本人により編纂された暦で1685年から1755年まで使われた。 宝暦暦(ほうりゃくれき、ほうれきれき) - 1755年から1798年 寛政暦(かんせいれき) - 1798年から1844年 天保暦(てんぽうれき) - 1844年から1872年
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