時代と背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 13:50 UTC 版)
パーニニの生涯についてはほとんどわかっていない。何世紀に生きたかも明らかでないが、学説としては前4世紀ごろとするものが支持されている。ナンダ朝がインド平原(ヒンドスタン平野、北インド一帯)を支配していたころと考えられている。 パーニニの文法が古典サンスクリット語(ヴェーダ語でなく)について定めていることから、ヴェーダ時代以降の人物と考えられる。つまり彼の時代にはヴェーダ語は古くなっており、もはや口語として使われなくなった文法事項をいくつかの特別な規則(チャンダスィ、"賛歌において"の意)によって取り扱っているためである。 彼がいつ生きたのかを知る重要な手がかりとは、古代ペルシア語"ヤウナ"に起源をもつと考えられる"ヤヴァナーニー(ギリシア女性またはギリシア文字の意)"という言葉が現れることだが、前330年代のアレクサンダー大王による支配よりずっと以前からガンダーラ地方にはギリシアについての知識があったのであり、ペルシアのダレイオス1世がガンダーラを支配した前520年ごろが上限になる。 パーニニが文典を書物として書きおろしたかどうかについてもよくわかっていないが、アシュターディヤーイーに"文字"、"書記"などの言葉についての言及があることから、当時すでに文字があったことは支持されている。何も書かずにアシュターディヤーイーのような複雑な書を編纂するのは難しいと考えられるが、パーニニは彼の弟子たちの頭を「ノート代わり」にしたという説をとなえるものもいる。 パーニニの業績は純粋に文法学、語彙学に属するが、また、彼が用いた例文や他の文法家への言及により文化的、地理的知識も得ることができ、それによればパーニニが南アジア北西部の人であることがわかる。ヴァスデーヴァを含む新しい神格についての言及もある。ダルマの概念も次のような文に登場する。dharmam carati "彼は法を司る"。
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