ダレイオス1世とは? わかりやすく解説

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ダレイオス1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 06:47 UTC 版)

ダレイオス1世古代ペルシア語: Dārayavau - ダーラヤワウ、紀元前550年頃 - 紀元前486年)は、アケメネス朝の王(在位:紀元前522年 - 紀元前486年)。一般にキュロス2世から数えて第3代とされるが、ダレイオス1世自身の言によれば第9代の王である。僭称者とされるスメルディス(ガウマータ)を排除して王位に就き、王国の全域で発生した反乱をことごとく鎮圧して、西はエジプトトラキア地方から東はインダス川流域に至る広大な領土を統治した。彼は自らの出自、即位の経緯、そして各地の反乱の鎮圧などの業績をベヒストゥン碑文として知られる碑文に複数の言語で記録させており、これは近代における楔形文字古代ペルシア語解読のための貴重な資料を提供した。 また、今日にもその遺跡が残されているペルセポリスの建設を開始した。


注釈

  1. ^ 日本語ではダーラヤワウともダーラヤワウシュとも表記される。これは古代ペルシア語はインド・ヨーロッパ語族に属する屈折語であり、固有名詞も文法的条件により格変化を起こすためである。ダーラヤワウは名詞幹のみの形態であり、ダーラヤワウシュは単数主格形である[1]
  2. ^ 擬古形ではdrywhwšという形を取る。恐らくこれのギリシア語形がダーレイアイオス(Dareiaîos)であり、クテシアスの『ペルシア史』とクセノフォンの『ギリシア史』においてのみ検出される形である[2]
  3. ^ 一般にキュロス2世はアケメネス朝の初代王とされる。彼の祖父の名前もキュロスであることから、彼自身はキュロス2世とされる。キュロス1世はアンシャンの王としてキュロス2世の祖先の系譜にリストされている。
  4. ^ アケメネス朝の王たちが残した碑文中にゾロアスター(ザラスシュトラ)への言及はなく、またゾロアスター教においてアフラ・マズダーと対を為す悪神アーリマンへの言及もない[7]エミール・バンヴェニストは、当時のアケメネス朝の宗教について、はっきりとそれが「ゾロアスター教」であることを示すいかなる証拠も存在しないとし、アウラマズダーという神格はゾロアスター教よりも古い起源を持つものであると指摘する[7]。そしてこの時期に存在したアケメネス朝の宗教はギリシア人たちが記録したペルシア人の宗教である「マゴスの宗教」とも「ゾロアスター教」とも異なる「マズダー教」とでも呼ぶべきものであったとする[7]。一方で、ゲラルド・ニョリはマズダー教とゾロアスター教を等価として扱えるものであるとし、アケメネス朝の宗教はゾロアスター教であったと確言する[8]
  5. ^ ヘロドトスが記すパディゼイノスというマゴス僧の実在は疑わしい。ヘロドトスは彼についてカンビュセス2世留守中に王家の面倒を任された人物であるとするが[13]、これは「執事」、「管理人」を意味するパティクシャヤティア(patiXšâyathia)という役職を固有名詞として、簒奪者を二人に分割したものであると考えられる [14]
  6. ^ ヘロドトスによれば、オタネス(ウターナ)、アスパティネス(アシュパカナ)、ゴブリュアス(ガウバルワ)、インタプレネス(ウィンダファルナフ)、メガビュゾス(バガブクシャ)、ヒュダルネス(ウィダルナ)、ダレイオス1世(ダーラヤワウ1世)の7人
  7. ^ 対象者はウィンダファルナフ(インタプレネス)、ウターナ(オタネス)、ガウバルワ(ゴブリュアス)、ウィダルナ(ヒュダルネス)、バガブクシャ(メガビュゾス)、アルドゥマニシュ
  8. ^ 「王の目」「王の耳」という名称はヘロドトスによるが[41]、これは恐らくディディヤカ(*didiyaka、見張り)、ガウシャカ(gaušaka、聞き手)の訳語であると推定される[37]
  9. ^ アナトリア半島カリア地方沿岸にある小島。
  10. ^ ただし、松平千秋は『歴史』の訳注にてこの表現は誇張が過ぎるであろうと述べている。
  11. ^ ヘロドトスによればこの時ヒスティアイオスに同調したのはヘレスポントス地方のポリスの僭主としては、アビュドスのダプニス、ランプサコスのヒッポクロス、パリオンのヘロバントス、プロコンネソスのメトロドロス、キュジコスのアリスタゴラス、ビュザンティオンのアリストン、イオニア地方のものとしてはキオスのストラッティス、サモスのアイアケス、ポカイアのラオダマス、そしてアイオリス地方のキュメのアリスタゴラスらである。
  12. ^ スメルディス(ガウマータ)の排除に関わったオタネス(ウターナ)とは別人。
  13. ^ ギリシアの文献によれば、偽スメルディス(ガウマータ)は本物のスメルディスと見分けがつかないほど似通った容姿をしていたとされるが、仮にそのような人物が存在したとしても本人そのものとして振る舞うことができたとは考えられず、このような説話はおよそ現実的なものではない。このため、僭称者など存在せずダレイオス1世が殺害した偽スメルディスとは本物の王弟そのものであったという推測がしばしば行われる[73]。また別の説として、この「偽」の王スメルディスとは古代オリエントにおいて時折見られた身代わり王(代理王、王に凶兆があった時に一時的に王として扱われ、本物の王に代わって凶兆を受ける存在)だったのではないかとする説もある[74]

出典

  1. ^ 伊藤 1974, p. xviii
  2. ^ a b c d e f g Encyclopedia Iranica DARIUS i. The Name”. 2017年12月31日閲覧。
  3. ^ 伊藤 1974, 巻末のペルシア式楔形文字表に依る。
  4. ^ 西洋古典学辞典 2010, pp. 738-739 「ダーレイオス」の項目より
  5. ^ a b c d e f 田辺 2003, pp. 154-156
  6. ^ a b c d 伊藤 1974, pp. 22-50
  7. ^ a b c バンヴェニスト 1996, pp. 12-44
  8. ^ ニョリ 1996, pp. 12-44
  9. ^ a b Encyclopedia Iranica DARIUS iii. Darius I the Great”. 2017年12月31日閲覧。
  10. ^ a b c d 山本 1997, p. 130
  11. ^ ヘロドトス, 巻3§139
  12. ^ 森谷 2016, p. 54
  13. ^ a b ヘロドトス, 巻3§61
  14. ^ 森谷 2016, p. 59
  15. ^ ヘロドトス, 巻3§65
  16. ^ ヘロドトス, 巻3§70-79
  17. ^ ヘロドトス, 巻3§80-86
  18. ^ ベヒストゥン碑文, §11
  19. ^ ベヒストゥン碑文, §13
  20. ^ a b c 森谷 2016, pp. 55-56
  21. ^ a b 山本 1997, pp. 128-129
  22. ^ a b c d e f 森谷 2016, pp. 67-68
  23. ^ ベヒストゥン碑文, §16
  24. ^ ベヒストゥン碑文, §17
  25. ^ ベヒストゥン碑文, §18_20
  26. ^ ベヒストゥン碑文, §21
  27. ^ ベヒストゥン碑文, §23
  28. ^ ベヒストゥン碑文, §24-32
  29. ^ ベヒストゥン碑文, §33
  30. ^ ベヒストゥン碑文, §35-36
  31. ^ ベヒストゥン碑文, §39
  32. ^ ベヒストゥン碑文, §41-42
  33. ^ ベヒストゥン碑文, §45-47
  34. ^ ベヒストゥン碑文, §49-59
  35. ^ ベヒストゥン碑文, §52
  36. ^ ベヒストゥン碑文, §71-76
  37. ^ a b c 伊藤 1974, pp. 68-79
  38. ^ a b 山本 1997, p. 133
  39. ^ ヘロドトス, 巻3§88
  40. ^ 森谷 2016, pp. 72-73
  41. ^ a b 山本 1997, p. 134
  42. ^ a b c d e f 山本 1997, p. 136
  43. ^ 山本 1997, p. 139
  44. ^ ヘロドトス, 巻4§1
  45. ^ ヘロドトス, 巻4§83
  46. ^ ヘロドトス, 巻4§93
  47. ^ ギルシュマン 1970, pp. 138-139
  48. ^ ヘロドトス, 巻4§130-136
  49. ^ a b 中村 1997, pp. 10-11
  50. ^ ヘロドトス, 巻4§44
  51. ^ a b ヘロドトス, 巻4§94
  52. ^ ベヒストゥン碑文, §6
  53. ^ ダレイオス1世のペルセポリス碑文e
  54. ^ a b c d e f g h 桜井 1997, pp. 127-129
  55. ^ ヘロドトス, 巻4§137
  56. ^ ヘロドトス, 巻5§1-17
  57. ^ ヘロドトス, 巻5§23
  58. ^ ヘロドトス, 巻5§25
  59. ^ ヘロドトス, 巻5§28-33
  60. ^ ヘロドトス, 巻5§35-36
  61. ^ ヘロドトス, 巻5§99-126, 巻6§1-22
  62. ^ ヘロドトス, 巻6§94
  63. ^ ヘロドトス, 巻6§101
  64. ^ ヘロドトス, 巻6§111-117
  65. ^ ヘロドトス, 巻6§119
  66. ^ a b ギルシュマン 1970, pp. 143-144
  67. ^ a b ヘロドトス, 巻7§1
  68. ^ ヘロドトス, 巻7§4
  69. ^ 山本 1997, p. 148
  70. ^ ヘロドトス, 巻7§2
  71. ^ a b ヘロドトス, 巻7§3
  72. ^ 山本 1997, pp. 132-133, 139
  73. ^ 阿倍 2023, p. 198
  74. ^ 阿倍 2023, p. 199
  75. ^ a b c d e f 森谷 2016, pp. 70-74
  76. ^ 伊藤 1974, pp. 109-115



ダレイオス1世 (3.70-7.4)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 09:18 UTC 版)

歴史 (ヘロドトス)」の記事における「ダレイオス1世 (3.70-7.4)」の解説

カンビュセス死後のペルシア王。各地反乱制圧イオニアの反乱きっかけに、ギリシア遠征開始したが、マラトンの戦い敗北

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