明治維新から世界恐慌勃発まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 13:45 UTC 版)
「南進論」の記事における「明治維新から世界恐慌勃発まで」の解説
南進論は横尾東作・田口卯吉・志賀重昂・菅沼貞風・竹越与三郎・福本日南などの民間の論客が提唱したもので、自由貿易主義の流れを汲むものとアジア主義の流れを汲むものに大別され、彼らはオセアニアや東南アジア島嶼部への貿易・移民事業を試みた。日清戦争中の南進論は台湾領有の具体的主張であった。日清・日露戦争以降、日本の国策の基本は朝鮮・満州・中国大陸など東北アジアへの進出を図る北進論となったため南進論は民間・非主流派の対外政策論、および、台湾総督府による南洋航路開拓等にとどまった(日清戦後のフィリピン独立革命(1898年)の際、日本軍が独立派を支援することでこの地に勢力を扶植することが模索されたが、結局は断念された)。 1914年の第一次世界大戦参戦にともない、日本海軍がドイツ領ミクロネシア(南洋群島)を占領し、戦後この地が日本の委任統治領として事実上の植民地になると、南洋群島は「内南洋」ないし「裏南洋」、すなわち「外南洋」ないし「表南洋」(東南アジア島嶼部)への進出拠点と位置づけられ、一時的な南進ブームが高まった。この時期の南進論の主流は貿易・投資・移民を軸に平和的な経済進出を唱道するものであった。 1925年には東京電燈の関連会社三ツ引商事がインドネシアのスラバヤへの進出を試みた。
※この「明治維新から世界恐慌勃発まで」の解説は、「南進論」の解説の一部です。
「明治維新から世界恐慌勃発まで」を含む「南進論」の記事については、「南進論」の概要を参照ください。
- 明治維新から世界恐慌勃発までのページへのリンク