旧熊本藩八代城主浜御茶屋とは? わかりやすく解説

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旧熊本藩八代城主浜御茶屋(松浜軒)庭園

名称: 旧熊本藩八代城主浜御茶屋(松浜軒庭園
ふりがな きゅうくまもとはんやつしろじょうしゅはまおちゃやしょうひんけんていえん
種別 名勝
種別2:
都道府県 熊本県
市区町村 八代市北の丸町
管理団体
指定年月日 2002.12.19(平成14.12.19)
指定基準 名1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 細川藤孝(幽斎)・忠興三斎以来主従関係を持つ松井氏は、正保3年16 46八代城守衛の任につき、明治入ってその任を解かれるまで八代城に在城する。 3代直之の元禄元年(1688)母崇芳院尼のために建立した茶庭松浜軒である。 松井家文書熊本大学附属図書館)に「一濱の御茶屋 元禄元年の春御建被成、崇 芳院様の御茶屋被成候、古昔の赤女池庭内ニあり、其前延宝年中福寺黄檗派御 建立被成、慈福寺廃し畠と成居候所ニ御茶屋御立被成り、松濱軒称し申候」と 記され建立の経緯を知ることができる。
 松浜軒八代城北西にあり、古くからの砂浜堤防内の沼池取り込み球磨川から 導水して庭園とした立地であり、浜堤には松林連なり松波越し八代海宇土半島 さらに遙か雲仙を望む雄大な眺望庭園であった庭園主として座敷より眺めるも のである北方松波広葉樹樹林となっているが、木々の茂る緩やかな起伏築山 から徐々に手前の池に向かって下る空間東西延びていて、広く明るい。池岸は 付きであった思われるが、現在は全体緩やかな傾斜切石護岸で、穏やかな収まり を見せている。近く広がる水面には、中島設けられ、東よりは州浜として穏やか な景にアクセントをつけている。座敷西方古昔の赤女池護岸大石縦に組み、 背後には勾配のある築山負って人為的な景を形成している。また、寄りには茶庭 に繋がる池に八ツ橋けられ、絵画画題想起させる雄大な眺望風景残念な がら都市化影響で望むことはできないが、なお庭園は大名庭園として変化に富んだ 景を構成しており、当時形状良く今に伝えている。
 本庭園上記のように江戸時代前期大名庭園として良好に保存されていて貴重で あり、名勝指定して保存しようとするものである
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
名勝:  旧有備館および庭園  旧朝倉文夫氏庭園  旧津山藩別邸庭園  旧熊本藩八代城主浜御茶屋  旧玄成院庭園  旧秀隣寺庭園  旧秋田藩主佐竹氏別邸



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