日本の実録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 05:20 UTC 版)
日本で編纂された正史で「実録」の名称が付されているものとしては、六国史の『日本文徳天皇実録』や『日本三代実録』がある。ただし、仁明天皇1代のみを扱った『続日本後紀』の方が体裁としては実録に近く、一方『三代実録』では清和天皇以後3代の天皇が扱われるなど、当時日本において「実録」がどのように理解されていたかについては不明な部分もある。坂本太郎の主張によれば、『続日本後紀』が事実上の仁明天皇の一代記となった上に、「紀」の上に冠する言葉が尽きてしまったので、便宜上から書名に「実録」という言葉を使っただけのことで、特に内容や編集方針について中国の実録からの影響は皆無とまでは言わないがそれほど顕著でもない、という。 江戸幕府の史書『御実紀』(通称『徳川実紀』)は、『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』『順宗実録』や明・清代の実録を参考に編纂されている。編者の林述斎と成島司直は若年寄堀田正敦への書状に、「実録」は和漢でも天子にのみ用いられる用語であるから憚って「御実紀」とした旨を述べているが、その実態上においては江戸時代の日本国の為政者の実録集と言える。 明治以後、孝明天皇から代々の天皇の実録が宮内省で作られており、この事業は現在の宮内庁にも継承されている。『孝明天皇紀』『明治天皇紀』は完成後にその存在が公にされたが、大正天皇に関する『大正天皇実録』全85巻は1927年(昭和2年)から1937年(昭和12年)にかけて編纂されていたものの、長らく公表されず宮内庁において情報公開の対象外とされていた。2001年(平成13年)になって、情報公開・個人情報保護審査会が非公開を不当とする判断を下し、宮内庁も編纂の事実を認めた。このため、翌2002年(平成14年)、2003年(平成15年)および2008年(平成20年)に第48巻以降が、また第1巻から47巻までが2011年(平成23年)に一部黒塗りで公開された。 『昭和天皇実録』も宮内庁によって編纂が進められ、2014年(平成26年)に編纂が完了して同年8月21日に第125代天皇上皇明仁に奉呈されたことが宮内庁より公表され、翌2015年(平成27年)より5年間かけて順次刊行されることとなった。
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