新潟港
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新潟港(にいがたこう)は、新潟県新潟市から北蒲原郡聖籠町にわたる日本海に面した港湾である。港湾管理者は新潟県。
- ^ 「日本海大交流時代を担う 新潟東港国際コンテナ埠頭」(PDF)『広報とよさか』第437号、豊栄市、1996年10月15日、4-5頁。
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- ^ “新潟税関沿革史 (横浜税関月報附録 ; 24)”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2024年1月1日閲覧。
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- ^ a b c “新潟市歴史博物館 年報 第16号《令和元年度版》”. 新潟市歴史博物館. 2024年1月1日閲覧。
- ^ “旧新潟税関庁舎等(国指定史跡・重要文化財)”. 新潟市. 2024年1月1日閲覧。
- ^ “東京税関の歴史”. 東京税関. 2024年1月1日閲覧。
- ^ 高橋裕『河川工学』東京大学出版会p91
- ^ a b 『日本の港湾2020』(2021年3月31日、公益社団法人日本港湾協会発行)275頁。
- ^ その後1972年(昭和47年)5月26日、浚渫船「海麟丸」が河口部に埋没した機雷に触雷して沈没、乗組員2名が死亡し45名が重軽傷を負う事故が発生している。
- ^ 「1500メートル掘り込む中央水路 東港周辺、将来は24万人に」(PDF)『市報にいがた』第195号、新潟市、1968年5月20日、2頁。
- ^ 「新潟港 悲願実って特重港に昇格」(PDF)『市報にいがた』第167号、新潟市、1967年3月20日、1頁。
- ^ 「新潟東港いよいよ19日開港!」(PDF)『市報にいがた』第245号、新潟市、1969年11月15日、1頁。
- ^ 「カメラ足報:中国との貨物航路開設」(PDF)『広報とよさか』第422号、豊栄市、1995年6月15日、9頁。
- ^ 「定期コンテナ航路 新潟ー釜山に直行便 輸送日数・コストとも削減」(PDF)『市報にいがた』第1568号、新潟市、1997年3月16日、8頁。
- ^ 「まちづくり最前線ルポ 新潟東港と豊栄市」(PDF)『広報とよさか』第436号、豊栄市、1996年9月15日、10-11頁。
- ^ 「待望の重量物荷役機械完成 新潟東港」(PDF)『広報とよさか』第288号、豊栄市、1984年4月15日、7頁。
- ^ -現場ルポ- 港湾・空港工事 第5巻 はじめての海洋現場⑤護岸上部工事(国土交通省 北陸地方整備局 新潟港湾・空港整備事務所)
- ^ 「日本海時代の幕開け 宿願実って開かれた 新潟⇔ナホトカ 定期客船航路 期待ふくらむ沿岸貿易」(PDF)『市報にいがた』第151号、新潟市、1966年7月5日、1頁。
- ^ 「開かれた定期客船航路 新潟○・・・○ナホトカ 日本海の新幹線 と好評」(PDF)『市報にいがた』第200号、新潟市、1968年8月5日、1頁。
- ^ 「北東アジア フェリー航路開設で交流の促進を 日本・韓国・ロシア・中国の5都市が連携」(PDF)『市報にいがた』第2086号、新潟市、2007年2月18日、1頁。
- ^ a b “資料編”. 日本海横断航路のあり方検討委員会報告書. 新潟県. 2024年3月20日閲覧。
- ^ 「日本海横断航路 運航開始 6/29 韓国からフェリー来港」(PDF)『市報にいがた』第2211号、新潟市、2009年7月12日、1頁。
- ^ 「新潟⇔ナホトカ間 日本海側で初めて定期航路 悲願実って第一船就航」(PDF)『市報にいがた』第130号、新潟市、1965年8月20日、1頁。
- ^ “万代テラス”. 新潟県新潟地域振興局 新潟港湾事務所. 2021年9月22日閲覧。
- ^ “立ち入り禁止区域に客運ぶ 容疑の船長ら書類送検へ”. 読売新聞 (2021年12月9日). 2021年12月9日閲覧。
- ^ 「にいがたポートセンターについて、見直しを行っています。」(PDF)『東港工業地帯だより』第2号、新潟県、2006年3月29日、3頁。
- ^ 「にいがたポートセンターは平成18年12月29日(金)をもって閉館します。」(PDF)『東港工業地帯だより』第5号、新潟県、2006年12月1日、1頁。
- ^ 渡辺正和「新潟市におけるロシア船員向け中古車産業の展開 一「環日本海経済交流圏」構想の一例として一」(PDF)『地域調査報告』第15巻、筑波大学地球科学系人文地理学研究グループ、1993年3月。
- ^ 「新潟と中国東北部を結ぶ 「日本海横断航路」開設」(PDF)『市報にいがた』第2322号、新潟市、2011年8月28日、1頁。
- ^ “立ち入り禁止の港の防波堤で釣り 男性2人海に転落し死亡 新潟”. NHK. 2023年1月4日閲覧。
- 1 新潟港とは
- 2 新潟港の概要
- 3 新潟東港(東港区)
- 4 関連項目
新潟東港
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新潟港を参照。豊栄市域にはガントリークレーンが3基設置されている。
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新潟東港(東港区)
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新潟市北区と聖籠町にまたがる地域に建設された掘込港である。 開削前の周辺は元々、小さな漁港と砂丘そして田畑が広がる地域だった。開削によって生じた土は、東港と同時期に建設が進められていた関屋分水路からの開削土と共に、新潟バイパスや亀田バイパスの盛り土として活用された。 開港当初は交通網も未整備で公共交通も脆弱であり、周辺は民家が点在する程度であった。そのため、海外から入港する船の乗組員は、新潟港での入港先を「East」と伝えられると、ひどく怪訝な態度になるほどだったという。 その後1980年代に入ると港内の係留施設が整い、航路網が充実、更に周辺の交通網が整備されるにつれ港内のファシリティは徐々に向上した。港周辺は工業団地として製造業・非製造業を問わず、数多くの企業が製造拠点や出先を設けている。 なお南埠頭には入港船の乗組員や周辺企業の従業員向けの厚生施設として県が設けていた「にいがたポートセンター」があり、英語、ロシア語、中国語を話せる職員が常駐していた。しかし外国人船員の利用者が減少し、機能を果たさなくなったことから2006年末をもって閉鎖・廃止された。 東港一帯はみなとオアシスとして登録していて、聖籠町海のにぎわい館を代表施設とするみなとオアシス聖籠として周辺で行われる海洋レクリエーションやイベントの交流拠点となっている。
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