斐太遺跡とは? わかりやすく解説

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斐太遺跡群
吹上遺跡
斐太遺跡
窯蓋遺跡

名称: 斐太遺跡群
 吹上遺跡
 斐太遺跡
 窯蓋遺跡
ふりがな ひだいせきぐん
 ふきあげいせき
 ひだいせき
 かまぶたいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 新潟県
市区町村 新井市宮内雪森
管理団体 新井市(昭535・6)
指定年月日 1977.07.16(昭和52.07.16)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日 平成17.03.02
解説文: S52-06-009[[斐太遺跡]ひだいせき].txt: 妙高山発した山なみは[[頸城]くびき]平野の西を限り新井市付近では比高40メートル前後の低い丘陵となっている。斐太遺跡はこうした丘陵のやや平たい、狭い尾根部に営まれ弥生時代後期あるいは古墳時代初期集落跡であり、住居跡群やこれをとりまく空濠が埋まりきらず凹みのこしていることから早くから特に注目をひき、昭和30年33年にわたり東京大学調査し詳細明らかにした遺跡である。
 遺跡は、丘陵上に3地区分かれて存在する北側位置する百両山は、丘陵頂部47凹み残されている。その大部分竪穴住居跡であろうとされており、その直径は、大は8~10メートル、小は2メートル前後深さは0.4~0.8メートルほどのものである。その大部分比高4243メートルの間に集中しており、3か所に特に群在す傾向みられる
 空濠はこうした竪穴住居群の東・西両側にあり、南北長く掘られている。東側は、比高30メートルから32メートル間100メートルつづき、西側は、38メートルから40メートルの間に120メートルつづいている。したがって丘陵頂部竪穴住居構え、やや低い丘陵傾斜面のはじまる縁に空濠を設けたのである
 この百両山から谷を隔てて南に上ノ平地区があり、尾根上に現在13凹みのこされているが、昭和5年以前調査した斎藤秀平は、この地区30凹みかぞえている。この丘陵尾根東西両側浅くのこされた空濠が見られ、その南側では尾根切ってこの両側の濠をつなぎ、一つ地区を形つくっている。この上平地区に南接して、同じ丘陵尾根上に、矢代山地区がある。この地区には現在11凹みみられるが、斎藤秀平19凹みかぞえている。この地区でも、やはり尾根平坦部から傾斜面に移る縁辺に空濠が掘られており、やはり同様な構造をもっていたもの考えられている。
 本遺跡は、弥生時代後期あるいは古墳時代初期営まれ集落埋まり切らず浅い凹みとなって住居跡、空濠跡をのこしている点で注目されるだけでなく、この時期集落構造など具体的に窺う上で極めて重要な遺跡といえるであろう

 弥生時代中期中葉から古墳時代初頭にかけての新潟県南部所在し集落跡群である。既指定の斐太遺跡は弥生時代後期後半に始まる丘陵上の大規模環濠集落である。吹上遺跡弥生時代中期中葉に始まる大規模な玉作り行った集落跡、釜遺跡弥生時代終末期に始まる当地域初となる低地大規模環濠集落である。この3遺跡は、いずれも拠点的な集落で、互いに密接に関わりながら展開した。斐太遺跡に、吹上遺跡・釜遺跡追加指定し名称変更行い、一体の遺跡として保存し活用を図る。



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