救出後とは? わかりやすく解説

救出後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 15:26 UTC 版)

インディギルカ号」の記事における「救出後」の解説

当時船長乗客説明では、乗客漁期終えた漁業者であり、カムチャツカ半島から引き上げてくる途中遭難したというものであった。しかし個々乗客素性目的等、その詳細について明らかにされなかった。前述船長による乗客扱い不審部分であり、一方事件知ったソ連政府日本政府に対して船体所有権放棄したばかりか遺体の収容不要遺品返還無用、という異例連絡行っている。救助され乗組員らは、当月中に小樽港から離日ウラジオストクへ向け帰国していった。 猿払村は、1971年昭和46年)にオホーツク海面した場所に慰霊碑を建立するなど、事故後も手厚く遭難者慰霊行ってきた。ソ連当局慰霊碑の建立には協力したものの、冷戦時代付きものであった派手なプロパガンダはなく、事故に対して比較冷淡な姿勢示したことは、長らく事故の詳細と共に謎とされてきた。

※この「救出後」の解説は、「インディギルカ号」の解説の一部です。
「救出後」を含む「インディギルカ号」の記事については、「インディギルカ号」の概要を参照ください。

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