投資一任業務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 03:36 UTC 版)
投資一任契約を締結することで顧客の資産を預かり、有価証券等で運用を行う業務。年金制度運営事業体や投資ファンド等から運用を受託する。受託者は、金融再生委員会から特別の認可を受けた株式会社でなければならなかった(投資顧問業法24条)。 投資一任契約は、他の認可投資顧問業者に再委任することができた(投資顧問業法2条4項2号)。投資顧問の投資運用業に対する「適合性の原則」は、投資助言業者法に明記されていない。日本の場合、「適合性の原則」は金商法40条1号ならびに金商法38条7号および金商業府令117条1項1号に具体化されている。 1983年7月、野村証券がモルガン・ギャランティ・トラストと日本に信託会社をつくることで合意した。野村証券の目的は、モルガンとアメリカで年金資産の運用委託を受けることの他、日本で急成長が見込めた企業年金基金の投資一任勘定を認めさせることにあった。その後、株式市場は数年後ブラック・マンデーが起こってから株価が低迷し、投資信託で運用成績が伸び悩むことになった。 そこへ海外の機関投資家が日本円を買い集めてゆき、海外の為替市場では慢性的な円高が進んだ。また、円高の影響で企業の輸出が阻害され、各企業の確定給付年金の運用実績は予定利率を割り込むようになった。 年金運用を担当していた社会保険庁OBや大手生保は、ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーから年金運用に競争原理がないことを指摘された。 金融ビッグバンの寸前1995年に投資顧問業者が投信委託業務を併営できることになってから、市場参入者はじわじわと契約残高を増やしていった。そして、日本の企業年金がユーロ債や地方債を買うという証券化を達成した。 2002年8月、新生銀行はメロン・フィナンシャルと「年金資産の運用に関する提携および折半出資の合弁会社を設立することで合意に至」った。 2003年11月、日本郵政公社が投資顧問会社及び資産管理銀行を公募した。これが翌年60兆円を突破する契機となった。2005-2006年、国外年金への飛躍的進出を達成した。2006年GPIFが発足して、翌2007年の契約残高は120兆円となった。 1995年以降、AIJ投資顧問は年金基金の資産運用として投資一任契約を締結する一方で、投資信託の委託会社として自社が運用する投資信託を投資一任契約で買付申込することが可能となった。AIJがどのようにして運用実態を隠したかというと、国内証券へ外国投資信託を買付けることによって生じる投資信託ビジネスを利用したのである。投資信託は顧客がファンド組み入れ証券に関与できない。このような手口を阻止できなかったことが、1986年の「有価証券に係る投資顧問業の規制等に関する法律」の穴であった。そして、この問題が2013年にもなって論じられた。
※この「投資一任業務」の解説は、「投資顧問会社」の解説の一部です。
「投資一任業務」を含む「投資顧問会社」の記事については、「投資顧問会社」の概要を参照ください。
投資一任業務と同じ種類の言葉
- 投資一任業務のページへのリンク