御恩と奉公
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/01 00:00 UTC 版)
御恩と奉公(ごおんとほうこう)とは、中世の日本において、主に武士の主従関係を構成した要素・概念。中世の武士間の主従関係は、決して片務的なものではなく、主人・従者が相互に利益を与え合う互恵的な関係で成り立っていた。ここで、主人が従者へ与えた利益(領地)を御恩といい、従者が主人へ与えた利益(主人のために戦う)を奉公といった。平安時代中期~後期から武士層に「御恩と奉公」の関係が徐々に形成されていたが、本格的に「御恩と奉公」が成立したのは、源頼朝が関東武士の盟主=鎌倉殿となってからである。以降、御恩と奉公の関係性は、鎌倉幕府の成立基盤として機能し続け、その後の室町幕府や江戸幕府にも引き継がれた。
- 1 御恩と奉公とは
- 2 御恩と奉公の概要
- 3 御恩
- 4 外部リンク
御恩と奉公
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 18:30 UTC 版)
鎌倉幕府の存立は、武士、特に関東武士団を基盤としていた。これらの武士は、「鎌倉殿」( = 将軍)の家人となることで、鎌倉幕府の構成員となった。鎌倉殿の家人になった武士は御家人と呼ばれた。鎌倉殿と御家人の主従関係は、御恩と奉公と呼ばれる互恵関係によって保持された、この制度を御家人制度と呼ぶ。 御恩 鎌倉殿が御家人の所領支配を保障し、又は新たな土地給与を行うことを言う。「御恩」には所領支配を保障する本領安堵(ほんりょうあんど)と新たな土地給与である新恩給与(しんおんきゅうよ)の2種類があった。いずれも御家人を地頭へ任命するという形で行われた。 奉公 御家人が鎌倉殿に対して負担する軍役・経済負担などを言う。具体的には、「いざ鎌倉」などに代表される緊急時の軍役、内裏の警護である京都大番役、幕府の警護である鎌倉番役、後の元寇の頃には異国警固番役や長門警固番役という形で行われ、また関東御公事と言われる経済負担もあった。 以上のように、相互に利益を享受することで、両者は結ばれていた。主従の契約は、御家人が鎌倉殿へ見参した際の名簿差出(みょうぶさしだし)によって行われ、幕府は御家人名簿により御家人を管理した。
※この「御恩と奉公」の解説は、「鎌倉幕府」の解説の一部です。
「御恩と奉公」を含む「鎌倉幕府」の記事については、「鎌倉幕府」の概要を参照ください。
御恩と奉公と同じ種類の言葉
- 御恩と奉公のページへのリンク