御告文
御告文(おつげぶみ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:51 UTC 版)
天皇が神祇を親祭するときに奏上する詞。一般に、親告される勅語、または勅語を記した口上書もこう称する。皇太子や皇族の場合は「御」を省き「告文」という。これは明治以降「こくぶん」であったが、現在は「つげぶみ」と称されている。
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御告文(先例)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 06:08 UTC 版)
現時点で史料によって確認できる大嘗祭の「御告文」は以下の通り。 建暦二年(1212年)の順徳天皇大嘗祭の例建曆二年十月廿五日丁酉御記曰、公家於悠紀・主基神殿可被祈請申詞、一昨日廿三日教申 之、此事最祕藏事也、代々此事不載諸家記、又無知人歟、殊祕藏爲事也、其詞云、坐伊勢五十鈴河上天照大神、又天神地祇諸神明曰、朕因皇神之廣護、國中平安、年穀豐 稔、覆壽上下救濟諸民、仍奉供今年新所得新飯如此、又於朕躬攘除可犯諸災難於未萌、不祥惡事遂莫犯來、又於高山深谷所々社々大海小川而記名厭祭者、皆盡銷滅而已、是尤祕事也、朕字ハ只次第書樣也、實祈請時ハ可爲實名者也、【書き下し案】伊勢の五十鈴の河上に坐す天照大神、又天神地祇諸の神に明らけく曰さく、朕皇神の廣き護りに因り、國中平らけく安らけく、年穀豐かに稔り、上下を覆い壽ぎ、諸の民を救ひ濟さん、仍りて今年新たに得たる所の新飯を奉ること此の如し、又朕が躬に於て犯すべき諸の災難を未だ萌さざるに攘ひ除き、不祥惡事を遂に犯し來ること莫からん、又高き山深き谷所々の社々大海小川に名を記して厭ひ祭らん者、皆盡に銷し滅さんのみ、 文正元年(1466年)の後土御門天皇大嘗祭の例次御祈請の事あり、〈此間采女ほとををきてまいるへし、〉其詞云、伊勢のいすゝの河かみにおハしますあまてる御神、あまつやしろくにつやしろのもろゝゝの神たちに申て申さく、われ諸神のひろきまもりによりて、國の中たひらかに、年穀ゆたかにして、たかきいやしきをおほひ、もろゝゝの民をすくはん、よりてことしあらたにえたる所の、にゐをものをたてまつる、又身の上におかすへきわさはひを、未萌にはらひの そきて、さりなハあしき事をかしき来たる事なからん、又たかき山ふかき谷所々名をしるして、ましなひまつらん物みなことゝゝくに、けちほろほさん事、これ天神地祇のあつきまもりをかうふりていたすへきもの也、 元文3年(1738年)の桜町天皇大嘗祭の例伊勢のいすすの河上に御座す天照大神、天つ屋しろ國つ社のもろものの神たちに申して申さく、昭仁諸神の広き守りによりて、國中たひらかに、年穀ゆたかにして、たかきいやしをおほひ、もろもろの民をすくわむ、よりてことしあらたにゑたることろの、にゐたるところの、にゐおものをたてまつる、又てる仁か身の上におかすへきわさはひを、はらいのそきて、さりなはあしき事をかしきたる事なからん、又たかき山ふかき谷ところところ名をしるして、ましなゐまつらんものみなけちほろほさん事、これ天神國つやしろのあつき守りをかふむりていたすもの也、と恐み々々も申て申さく、 寛延元年(1748年)の桃園天皇大嘗祭の例いせのいすゝの河かみにおはします天照大神、またあまつ神くにつやしろの神たちに申て申さく、遐仁(編集者注:桃園)すへ神のまもりにより、國ゆたかに、もろゝゝのたミをすくはむ、よりてあらたにえたるにゐおものをたてまつる、又とを仁か身におかすへきわさはひをのそき、又ところゝゝゝ名をしるして、ましなひまつらんものミなけちほろほさんこと、これあまつかミくにつやしろのまもりをかふむるへきもの也、 年次不詳伊勢のいすゝの川上におハしますあまてる御神、あまつやしろくにつやしろのもろゝゝの 神たちに申て申さく、御いみな諸神のひろきまもりによりて、國の中たいらかに、年穀ゆたかにして、たかきいやしきをおほひ、もろゝゝの民をすくはん、よりてことしあらたにえたるところのにゐおものをたてまつる、又身のうへにおかすへきわさはひを、未萌にはらひのそきて、さりなハあしきことをかし来たる事なからん、又たかき山ふかき谷ところ ゝゝゝ名をしるして、ましなひまつらん物ミなことゝゝくに、けちほろほさん事、これ天神地祇のあつきまもりをかうふりていたすへきもの也、
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