建部綾足とは? わかりやすく解説

たけべ‐あやたり【建部綾足】

読み方:たけべあやたり

1719〜1774]江戸中期読本(よみほん)作者俳人国学者画家津軽弘前の人。本名喜多村久域(きたむらひさむら)。俳号、涼袋。画号、寒斎。賀茂真淵門人江戸で俳諧を業としたが、のち和歌転じた晩年読本作者となり、また文人画よくした読本本朝水滸伝(すいこでん)」「西山物語」、画集「寒画譜」など。


建部綾足

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/25 02:15 UTC 版)

建部 綾足(たけべ あやたり、1719年享保4年) - 1774年4月28日安永3年3月18日))は、江戸時代中期の俳人小説家国学者絵師片歌を好み、その復興に努めた。別号に、葛鼠・都因・凉袋・吸露庵・寒葉齋・孟喬・毛倫・建長江・建凌岱[1]


  1. ^ a b c d e f g h i j 岡本勝雲英末雄編 『新版 近世文学研究事典』おうふう、2006年2月、118頁。 
  2. ^ 上田秋成は元となった事件の当事者である渡辺源太とも面談しており、同じ題材で『ますらを物語』を書く


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建部綾足

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 01:51 UTC 版)

建部氏」の記事における「建部綾足」の解説

(建部綾足項目参照江戸時代小説家俳人・歌人国学者画家1719年 - 1774年の人で本姓喜多村と言い後に建部改めた。名は久域のちに綾足、号を涼袋・寒斎・吸露庵・浅草庵。弘前藩家老次男生まれた20歳の頃に兄嫁通じて出奔上方俳諧師となり江戸出て和歌片歌主張し賀茂真淵門に入って国学学んだ。のちに絵に才能示し小説では「西山物語」「由良物語」「本朝水滸伝」を著した雅文体を示すと共に江戸読本基礎つくった

※この「建部綾足」の解説は、「建部氏」の解説の一部です。
「建部綾足」を含む「建部氏」の記事については、「建部氏」の概要を参照ください。

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