島左近とは? わかりやすく解説

島清興

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 17:28 UTC 版)

島 清興嶋 清興、しま きよおき)は、戦国時代から安土桃山時代武将筒井氏石田三成の家臣。通称は左近で、一般には島 左近(しま さこん)の名で広く知られる。実名は勝猛(かつたけ)などの俗称が広まってはいるが、正しくは清興である[注釈 1]。なお、本項目では特に断りが無い限り「左近」と記す。


注釈

  1. ^ 『根岸文書』に「嶋左近清興」と記した自筆の書状がある[2]。また天正5年(1577年)に左近本人が春日大社に奉納したという石灯籠にも「嶋左近丞清興」と刻まれている[2]
  2. ^ 夜襲はそもそも進言されていないという説もある。夜襲策の出典は『日本戦史(旧日本軍参謀本部編)』。
  3. ^ 大谷吉継の場合は側近の湯浅五助が切腹の介錯を行い、首級を埋めた場所を語らず死亡したため発見されなかった。
  4. ^ 役名は「嶋左近」

出典

  1. ^ 花ヶ前 2001, pp. 13, 54.
  2. ^ a b c 花ヶ前 2001, p. 10.
  3. ^ 花ヶ前 2001, p. 172.
  4. ^ 今村嘉雄『定本 大和柳生一族―新陰流の系譜』新人物往来社、1994年。
  5. ^ 花ヶ前 2001, p. 11.
  6. ^ 花ヶ前 2001, pp. 11–12.
  7. ^ 花ヶ前 2001, p. 13.
  8. ^ a b 花ヶ前 2001, p. 54.
  9. ^ 多聞院日記 第2巻(巻12-巻23)』三教書院、1935年、19–20頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1207457/15 
  10. ^ a b 花ヶ前 2001, p. 17; 谷 2018, p. 46.
  11. ^ 谷 2018, p. 46.
  12. ^ 花ヶ前 2001, pp. 14–15.
  13. ^ a b 谷 2018, p. 47; 金松 2019, pp. 90–91.
  14. ^ 金松 2019, pp. 91–91.
  15. ^ a b 花ヶ前 2001, p. 22.
  16. ^ 花ヶ前 2001, pp. 22–23, 92–93.
  17. ^ 花ヶ前 2001, pp. 22–23.
  18. ^ 谷 2018, p. 48.
  19. ^ 花ヶ前 2001, p. 23.
  20. ^ 谷 2018, pp. 46–47.
  21. ^ 花ヶ前 2001, p. 105.
  22. ^ 渡辺世祐『稿本石田三成』雄山閣出版、1907年。 
  23. ^ a b 太田 2009, p. 110.
  24. ^ 伊藤真昭「石田三成佐和山入城の時期について」『洛北史学』4号、2003年。 
  25. ^ “石田三成腹心、島左近の書状発見 東京大など”. 日本経済新聞. (2016年7月1日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG01HCL_R00C16A7CR8000/ 2016年9月22日閲覧。 
  26. ^ 嶋左近=有能な官僚 書状2通発見、新人物像浮かぶ 滋賀・長浜”. 京都新聞 (2016年7月1日). 2016年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月1日閲覧。
  27. ^ 中根正人「嶋清興書状にみる天正十八年の大掾氏と豊臣政権」『常陸大掾氏と中世後期の東国』岩田書院、2019年、239-248頁。ISBN 978-4-86602-075-4 
  28. ^ 花ヶ前 2001, p. 30.
  29. ^ 太田 2009, p. 108.
  30. ^ 太田 2009, p. 109.
  31. ^ その際に取っていた伝・左近の兜は、大正4年4月で戸川家第十三代・戸川安宅が久能山東照宮に奉献した。[1]
  32. ^ 著者不詳『(黒田)故郷物語』文政12年(1829年)。
  33. ^ a b 太田 2009, p. 111.
  34. ^ 中井俊一郎 著「嶋左近-三成に過ぎたるもの-」、オンライン三成会 編『三成伝説 現代に残る石田三成の足跡』サンライズ出版、2009年、128頁。 
  35. ^ 『日本人名大事典』平凡社。[要文献特定詳細情報]
  36. ^ 花ヶ前 2001, p. 176.
  37. ^ 隆慶一郎『時代小説の愉しみ』講談社講談社文庫〉、1994年、50-51頁。
  38. ^ ここに古き歴史の証あり”. 白牡丹株式会社ホームページ. 2015年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月1日閲覧。
  39. ^ 全日本仏教会寺院名鑑刊行会編『全国寺院名鑑』熊本県 全日本仏教会寺院名鑑刊行会、1969年、2頁。
  40. ^ 平凡社編『日本歴史地名大系 第44巻 熊本県の地名』平凡社、1985年、492頁。
  41. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 43 熊本』角川書店、1987年、506-507頁。
  42. ^ 圭室文雄編『日本名刹大事典』雄山閣出版、1992年、274頁。
  43. ^ 余呉町教育委員会 編『余呉の民話』1980年。 
  44. ^ 小林明「伝・島左近の兜」『東照宮文化財保存顕彰会会報』14号、1981年。 
  45. ^ 嶋左近キャラクター「左近くん」の使用について”. 平群町公式ホームページ. 平群町. 2015年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月1日閲覧。


「島清興」の続きの解説一覧

島左近(しま さこん)

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猛き黄金の国 柳生宗矩」の記事における「島左近(しま さこん)」の解説

三成家臣最後戦国武将関ヶ原壮烈な戦死遂げる。

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島左近(しま さこん)

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SAKON(左近) -戦国風雲録-」の記事における「島左近(しま さこん)」の解説

主人公。名は勝猛(かつたけ)。9歳の頃、戦で重傷負い動けなくなったため死を願う父とその心を理解し自害に連れ添う母と死別その際、母から庭に咲く巨木のような強い男になれ、と諭され強き男になること、死に場所を見つけることを決意する左近のその想いの形として巨木一枝肌身離さぬうになる

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島左近

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決戦III」の記事における「島左近」の解説

史実では筒井家家臣だが、ゲームでは松永久秀援軍として「多聞山の戦い」にて登場史実でも一時期久秀に仕えていたという説もある)。撃破すれば織田家に仕官する。主な兵種騎馬武将系統は「猛将」。

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島左近 (しま さこん)

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GATE 7」の記事における「島左近 (しま さこん)」の解説

三成従者大柄な少年三成と共に徳川に付く。三成同様、西陣高校通っている。

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島左近(エアバイク)

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婆裟羅2」の記事における「島左近(エアバイク)」の解説

38歳前作プレイヤーキャラクターで同じ自機を扱う。本作では筒井家家臣として登場し、同じ筒井家臣の松倉右近並び筒井右近左近」と称される光秀謀反際し、「義」を重んじる左近は「明智殿に味方すべし」と主君順慶説く聞き入られず、結局主君に従って出陣

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島左近

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関ヶ原 (小説)」の記事における「島左近」の解説

三成腹心かつては大和国筒井氏侍大将として仕え政略合戦天才として名を轟かせた。その才を高く買った三成は、筒井家辞して近江隠棲した左近幾度も訪ねて口説きついには自らの知行半分近く割いて家老召し抱えた。その政軍ともに傑出した能力からすで天下名士として高名であり、居城佐和山城同じく小身三成には分不相応として、「三成過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城」などと詠われた。

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