岩屑なだれによる被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 06:52 UTC 版)
「1888年の磐梯山噴火」の記事における「岩屑なだれによる被害」の解説
磐梯山中腹にあった3つの温泉のうち、下ノ湯は山体崩壊による岩屑なだれの直撃を受けたため完全に消滅した。下ノ湯における死亡者は家族、親族からの申し出による確認である。 岩屑なだれの直撃を受ける形となった檜原村は壊滅的な被害を被った。磐梯山の北側に位置する檜原村は、早稲沢、小野川、細野、雄子沢、秋元原、桧原本村の6つの集落で構成されていた。磐梯山噴火当時、桧原村では標高が高く寒冷な気候であるため米を作ることが出来ず、作物としてはソバを中心として粟、稗、麦、大豆、小豆などを栽培していた。6つの集落のうち早稲沢、小野川、細野、雄子沢の4集落が木地師、檜原村の中心であった桧原本村は会津若松と米沢とを結ぶ街道筋にあったため、木地師の他に宿泊業、運送業など、そして檜原村の中で最も標高が低かった秋元原は農業や養蚕で生計を立てていた。 磐梯山噴火開始後、岩屑なだれは10分以内に檜原村に到達し、檜原村の集落のうち雄子沢、細野、秋元原の3集落をあっという間に飲み込んだ。住民たちは逃げる間も無く飲み込まれ、細野集落は全滅、雄子沢、秋元原も8割を超える住民が亡くなった。助かったのは出稼ぎや買い出しに出かけていたり、魚釣りに行っていたなどたまたま集落を離れていた者たちだけであった。また檜原本村、小野川は岩屑なだれの直撃は免れたものの、たまたま岩屑なだれが襲った地域に仕事に出ていたなどの理由で犠牲者が出ており、人的被害がなかったのは早稲沢のみであった。結局檜原村では200名以上の人々が亡くなった。 檜原村の畑地、山林も壊滅的な被害を受けた。前述のように当時の桧原村には水田がなかったため農地は畑の被害であった。また檜原村での被害地は私有地は比較的少なく、官有地の占める割合が多かった。また高地で寒冷な気候であった檜原村では農耕用の牛馬の飼育は少なかったため、家畜被害は少なかった。
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