富士信仰に関する仏像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 04:16 UTC 版)
柴又帝釈天には室町時代(15世紀)の観音菩薩坐像が伝来する。銅像・一軀。像高は120.0センチメートル。背中面腰部には銘文があり、尾張国海西郡津嶋(愛知県津島市)在住の人物を願主とし、大宮司・親時が関わり造立されたことが判明する。また、江戸時代後期の『甲斐国志』では、室町時代の明応2年(1493年)に富士山頂の東賽ノ河原に奉納された「十一面観音ノ鉄像」の存在を記し、尊格は異なるものの本像の銘文と一致することから、同一の像である可能性が考えられている。 明治維新後には神仏分離令による廃仏毀釈の影響で富士山周辺の仏像も破却や山内からの移転された。本像も同様に村山へ下ろされ、本寺である柴又帝釈天に移座されたと言われ、富士山麓の砂地を引き下ろした際の擦り傷も確認される。
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