富士倶楽部
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白団の教育用カリキュラム作成のため、1952年秋に東京飯田橋に設立された軍事研究所。岡村や及川、小笠原のもと、旧陸軍からは服部卓四郎、堀場一雄、西浦進、今岡富各、榊原正次、都甲誠一、新田次郎、旧海軍からは高田利種、大前敏一、小野田捨次郎、長井純隆などのメンバーが参加し、戦史・戦略・戦術の資料の研究、蒐集や国際情勢、国防問題の分析を行った。蒐集された軍事図書は7千点で、それを基に5千点以上の研究資料が作成された。これらの膨大な資料は台湾にも送られ、白団の教育活動に活用された。また、服部ら富士倶楽部のメンバーも何度か直接台湾に赴き、臨時の講義や国民政府幹部との会見を行っている。1963年ごろまで活動した。
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