太平洋戦争中盤以降の行動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 07:55 UTC 版)
「旗風 (駆逐艦)」の記事における「太平洋戦争中盤以降の行動」の解説
1942年(昭和17年)12月4日、日本海軍は、日本陸軍の九九式双発軽爆撃機を輸送するため空母龍鳳と冲鷹の投入を発令した。12月11日、龍鳳と護衛の駆逐艦時津風(第16駆逐隊)は、トラック泊地に向け横須賀を出撃する。12月12日午前10時前後、龍鳳は八丈島東160浬で米潜ドラム(USS Drum, SS-228)から雷撃され、右舷中部に魚雷1本が命中した。旗風を含め護衛艦艇や館山海軍航空隊は龍鳳援護のため出動。旗風以下各艦の護衛により、龍鳳は辛うじて横須賀に帰投した。このあと、冲鷹と護衛の駆逐艦卯月はトラック泊地への輸送に成功。龍鳳が輸送予定だった陸軍機は空母瑞鶴(第一航空戦隊)が12月末~1月上旬にかけて輸送している。 1943年(昭和18年)2月1日、横須賀鎮守府の駆逐艦3隻(旗風、山雲、野風)は、扶桑型戦艦2番艦山城を護衛して内海西部を出発。2月3日夕刻、山城隊は横須賀に到着した。同月中旬、駆逐艦3隻(山雲、旗風、野風)は長門型戦艦2番艦陸奥(前月中旬、トラック泊地より横須賀に帰投、在泊中)の護衛を命じられた。2月15日午前11時、陸奥艦長山澄貞次郎大佐指揮下の3隻(陸奥、旗風、野風)は横須賀を出発。山雲を加え、内海西部に向かう。2月16日夕刻、速吸瀬戸(豊後水道)を通過。護衛部隊(山雲、旗風、野風)は無事に陸奥を送り届けた。18日、旗風艦長は横須賀防備戦隊司令官に対し、金刀比羅宮(香川県)に参拝する予定を通知した。21日、旗風と野風(途中合流)は特設巡洋艦2隻(盤谷丸、西貢丸)を護衛して内海西部を出発。横須賀に向かった。横須賀到着後(盤谷丸と西貢丸は、駆逐艦海風と清波護衛下でトラック行き)、本艦は横須賀海軍工廠で入渠整備を行う。2月25日、かつて旗風が所属していた第5駆逐隊は解隊された。 2月28日、呉軍港で軽巡洋艦大淀が竣工。横須賀の2隻(旗風、野風)は大淀の横須賀回航に際し、同艦護衛任務を命じられた。同任務を目前にした3月2日、横須賀港内にて爆雷調整中に事故が発生して損傷。約40名が死傷した。大淀の呉~横須賀護衛任務は、僚艦2隻(山雲、野風)が担当した。 5月26日、小泉四郎少佐(旗風艦長)は駆逐艦皐月艦長へ転任。前月9日に撃沈された駆逐艦磯波沈没時の艦長荒木政臣少佐が旗風駆逐艦長に補職される。6月10日、荒木政臣少佐(旗風艦長)は、旗風および駆逐艦野分艦長の兼務を命じられた。6月25日、旗風駆逐艦長に岡田静一少佐が任命され、艦長兼務を解かれた荒木は野分駆逐艦長に専念する。
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