大高源吾とは? わかりやすく解説

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おおたか‐げんご〔おほたか‐〕【大高源吾】

読み方:おおたかげんご

[1672〜1703]赤穂義士(あこうぎし)の一人。名は忠雄浅野長矩(あさのながのり)の中小姓吉良(きら)邸討ち入り参加宝井其角(たからいきかく)に俳諧学び子葉号した


大高源吾

読み方おおたか げんご

江戸前中期武士赤穂四十七士一人。名は忠雄俳号子葉。母は小野寺十内の姉、弟は十内の養子となった右衛門秀富、甥は岡野金右衛門包秀中小姓から膳番元方金奉行腰物方に進む。浪人後、脇屋新兵衛変名し吉良邸を探索した文武ともにすぐれ、茶道山田宗?に師事茶会日取りから打ち入りの日を決めた挿話名高い宝井其角荷田春満らとも親交があった。著書に『丁丑紀行』『二つ乃竹』がある。元禄16年(1703)歿、32才。

大高忠雄

(大高源吾 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/22 21:36 UTC 版)

大高 忠雄(おおたか ただお、寛文12年(1672年)-元禄16年2月4日1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士赤穂浪士四十七士の一人。本姓安倍氏家紋は丸に三盛亀甲花菱。通称は源五・源吾(げんご)。また、子葉という雅号を持ち、俳諧にも事績を残した。


  1. ^ 『沾徳随筆』より「浅野家滅亡之濫觴」
  2. ^ 宮澤誠一「赤穂浪士 紡ぎ出される忠臣蔵」(1999年)
  3. ^ 松山藩『波賀清太夫覚書』
  4. ^ a b (第237号)東海道を通った人・もの【2】~将軍とお茶壺、赤穂浪士など~ (平成20年2月1日号)”. 三島市. 2023年4月22日閲覧。
  5. ^ 昭和3年に作られた大高の歌碑はこちらの「厚氷」の一首を採用している。
  6. ^ 中央義士会『忠臣蔵四十七義士全名鑑』より「大高源五忠雄」P177-178
  7. ^ 宮澤誠一『赤穂浪士―紡ぎ出される「忠臣蔵」 (歴史と個性)』 p157(三省堂、1999年)。ISBN 978-4385359137
  8. ^ 香雪美術館所蔵「籠花入 銘桂川」
  9. ^ 明治(活歴もの)歌舞伎「土屋主税」
  10. ^ 講談「義士銘々伝 木村岡右衛門」(神田松鯉
  11. ^ 講談「大高源五 腹切り魚の別れ」
  12. ^ 赤穂市史編纂室主幹「赤穂四十七士列伝」。「義士銘々傳より(発行:泉岳寺)」ほか。


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