沾圃
(生年不詳)
江戸蕉門の弟子、能役者宝生流第10世宝生佐大夫。『続猿蓑』は沾圃の撰したものを芭蕉と支考が手直しして成立したといわれている。沾圃の父は、貞亨2年8月に没した宝生流八世の古将監<こしょうげん>で、歴史上屈指の名人役者といわれた。沾圃の弟子に赤穂四十七士の一人大高源吾がいたという。その源吾の討ち入り後の辞世「梅のみて茶屋もあるらし死出の山」がある。芭蕉の軽みが感じられる句である。
沾圃の代表作
猶いきれ門徒坊主の水祝ひ(『炭俵』)
猿蓑にもれたる霜の松露哉(『炭俵』)
一日は花見のあてや旦那寺(『續猿蓑』)
八重櫻京にも移る奈良茶哉(『續猿蓑』)
蓬莱の具につかひたし螺の貝(『續猿蓑』)
淀よりも勢田になけかし子規(『續猿蓑』)
郭公かさいの森や中やどり(『續猿蓑』)
冷汁はひえすましたり杜若(『續猿蓑』)
昼がほや日はくもれども花盛(『續猿蓑』)
五月雨や踵よごれぬ磯づたひ(『續猿蓑』)
姨捨を闇にのぼるやけふの月(『續猿蓑』)
はつ茸や塩にも漬ず一盛(『續猿蓑』)
そのつるや西瓜上戸の花の種(『續猿蓑』)
沖西の朝日くり出す時雨かな(『續猿蓑』)
八専の雨やあつまる菊の露(『續猿蓑』)
狼を送りかへすか鉢たゝき(『續猿蓑』)
俎板に人参の根の寒さ哉(『續猿蓑』)
やま伏や坊主をやとふ玉祭(『續猿蓑』)
我蒲團いたヾく旅の寒かな(『續猿蓑』)
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