大西洋での活動
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「アトランティス (仮装巡洋艦)」の記事における「大西洋での活動」の解説
出撃準備を終えた「アトランティス」はエルベ川北方のジュダーピープに投錨し、1940年3月31日に出港した。はじめはノルウェー船に偽装していたが、夜になるとソ連補助艦「キム (Kim)」への偽装へと変えた。「アトランティス」は北極圏まで北上し、それからデンマーク海峡を通過して大西洋へと出た。4月17日、「アトランティス」は南大西洋のケープタウン・フリーマントル間の航路へと向かうよう命じられた。南大西洋ではソ連艦への艤装は不適切であるため、今度は日本船「香椎丸」に偽装した。 5月2日(3日)、客船「シティ・オブ・エクゼター (City of Exeter)」と遭遇。ローゲは手を出さないことにした。「シティ・オブ・エクゼター」は「アトランティス」を不審な船として報告した。翌日、リバプール、ハリソン会社の貨物船「サイエンティスト (Scientist)」(6200、または6199トン)を発見。同船は停船しなかったため命中弾を与え、被弾炎上後停船。「サイエンティスト」は最終的に、設置された爆薬および砲撃と魚雷1本を以て沈められた。 5月10から11日の夜、「アトランティス」は南アフリカのアガラス岬沖に機雷92個を敷設した。しかし、この機雷による戦果はなかった。その後、日本船に偽装したドイツの通商破壊艦の存在を警告する電信を傍受したことから、偽装対象はオランダ船「アベカーク (Abbekerk)」へと変更された。
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大西洋での活動
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「ウィリアム・D・ポーター (駆逐艦)」の記事における「大西洋での活動」の解説
ウィリアム・D・ポーターは就役から間もなくオレンジを出港し、テキサス州ガルベストンとルイジアナ州 アルジアーズ(英語版)を経由し、1943年7月30日に公試のためキューバのグアンタナモ湾へ向かった。1ヶ月後の公試完了後、バミューダを経由して9月7日にサウスカロライナ州チャールストンに到着した。ウィリアム・D・ポーターはチャールストンで公試後の修繕を行った後、月末にバーニジア州ノーフォークへ移動する。そこでウィリアム・D・ポーターは空母イントレピッド(USS Intrepid, CV-11)ら大西洋艦隊の僚艦と共に、約5週間にわたって演習を実施した。
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