大山車と舞獅子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/15 14:00 UTC 版)
各町の奉納演技に先立ち、拝殿で神事が執行され、その後4輌の大山車(新田・濱田(北濱田と南濱田が隔年に担当)・西町・北町)が社前に曳き揃えられ、花納めの神事を行なった後、各大山車から舞獅子が奉納される。大山車は3層構造の巨大な山車で、高さは各町の山車(小山)の2倍は優にあった(戦禍により大山車4輌は焼失し、以後は途絶)。 新田 濱田(北濱田/南濱田) 西町 北町 現在は、濱田大山車の舞獅子のうちの旧南濱田舞獅子である、「浜田舞獅子」(南濱田十中組)と「南浜田舞獅子」(南濱田橋南組)が花納めと舞の奉納を継承。花納めは桜の造花を前乗が神官に手渡し、神官は桜花を本殿の大床に捧げ奉り、その後、舞獅子の一行に御神酒が授与されるという儀式。獅子は一頭立ての二人舞、口取りに猿田彦がつく。箕田流の流れを汲み「段緒(だんち)」「起しの舞」「花の舞」「扇の舞」「末の舞」がある。また、大山車の巡行のときに奏でた「道行」「山の囃子」も伝わる。(北町は戦後すぐ、北濱田は昭和34年(1959年)頃、新田は昭和35年(1960年)、西町は昭和42年(1967年)以来途絶している。また、新正町も奉納をしていたが、これは大山車とは関係がなく、赤堀地区八坂神社の獅子舞だったもの。) 浜田舞獅子 【浜田舞獅子保存会】 旧南濱田十中(じゅっちゅう)組の流れを汲む舞獅子。十中とは十七軒と中組のことで、現在の中浜田町を中心に浜田町・十七軒町・九の城町の一部を含む地域。鈴鹿から四日市に多く見られる箕田流の獅子舞であるが、都市祭礼である四日市祭のなかで見せる要素が洗練され、軽快で流麗な舞になっているのが特徴。また、太鼓は約二尺五寸径の宮太鼓を用いるのも特徴であり、これは大山車に吊り下げられていたことの名残である。 南浜田舞獅子 【南浜田町(南浜田舞獅子保存会)】 旧南濱田橋南(はしみなみ)組の流れを汲む舞獅子。橋南とは現在の南浜田町のことで、「浜田舞獅子」と「南浜田舞獅子」は本来は同じ旧南濱田の舞獅子であったが、町堺の変更や住民の増加などから昭和23年(1948年)に「十中組」と「橋南組」に正式に別れ、それぞれが諏訪神社に奉納するようになった。祭の最後に町内の獅子宿で舞う「道化舞」は、獅子頭を神聖化する他の行事には見られない滑稽な舞で、都市祭礼の影響を受けたものとして貴重である。
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