おおやまもうで 【大山詣】
大山詣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 06:05 UTC 版)
江戸時代に大山は江ノ島と並んで江戸近郊の半ば観光地となって大山詣が盛んになり、関東一円で大山講が組成されるとともに、源頼朝の戦勝祈願の故事に由来した納め太刀が流行した。当時の様子は江戸から石尊権現の神名を記した大きな木刀を担いで大山に参詣する浮世絵にもみられる。代表例として歌川豊国の「大當大願成就有が瀧壷」や歌川芳虎の「大山石尊大権現」などの作品がある。大山詣が盛んになるにつれ宿坊が建ち並び、大山詣を案内をする御師が活躍した。その規模は八大院、坊舎十八院、御師百五十余宇に至るほど隆盛した。また、石尊権現信仰は関東周辺に広がり、各地で石尊山の名称や石尊宮の建立が興り、それらでも石尊講が組成されたり納め太刀が奉納された。大山講は相模・武蔵を中心に安房、下総、上総、常陸、下野、上野、磐城、甲斐、信濃、越後、遠江、駿河、伊豆に及んで、総講数1万5700、総檀家数約70万軒にも達した。参詣者は「懺悔懺悔 六根清浄 大峰八大金剛童子 大山大聖不動明王 南無石尊大権現 大天狗小天狗 哀愍納受 一龍礼拝 帰命頂礼」などを唱えた。
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大山詣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/09 10:04 UTC 版)
大山は死者の魂が還る地とする大山信仰と仏教の地蔵信仰が融合して、智明権現(地蔵菩薩)に死者供養を祈る大山詣は江戸時代に盛んだった。現在でも、往時の信仰を偲ぶ大山寺三十三カ所地蔵めぐりコースがある。
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