大友義鑑
大友義鑑(おおとも よしあき) 1502~1550
大友義鑑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/21 08:19 UTC 版)
大友 義鑑(おおとも よしあき、異体字:大友義鑒)は、戦国時代の武将・戦国大名。豊後国大友氏の20代当主。
- ^ 『大友・松野・吉弘氏関係略系図』
- ^ 『立花遺香』 P.107~108
- ^ 小久保嘉紀「将軍偏諱の授与とその認知―相良義陽の事例から―」『九州史学』173号、2016年。/所収:木下昌規 編『足利義輝』戎光祥出版〈シリーズ・室町幕府の研究 第四巻〉、2018年。ISBN 978-4-86403-303-9。
- ^ 義鑑から偏諱を賜った立花道雪(戸次鑑連)の養子・立花宗茂の子孫が代々「鑑」を通字として用いるようになった例など、一部の人物が義鑑亡き後に「鑑」の字を名前に用いているケースもあるが、こちらも別項に掲載する。
- ^ 美濃守。姓は「ぶにょう」と読む。一萬田貞直の子・豊饒直弘から続く家系とされる。途中からは竈門を姓とし、大友親繁期の家臣・竈門繁貞の子孫とみられる。
- ^ 子の鎮直は二階崩れの変前に殺害された小佐井大和守と同一人物とされているが、この当時の大友氏当主は義鑑なので鑑直の間違いではないかと思われる。また、1580年の龍造寺氏との戦いで鑑直が一旦捕虜となったという史実もある。
- ^ 初名:戸次直貞。分家・藤北戸次氏第2代当主親宗の兄・親繁の子で叔父・親就の養子となる。兄の鎮時、鎮実ともに大友義鎮(宗麟)の代から仕え、(理由は不明だが)宗麟からその父義鑑の「鑑」の字を賜った。のち立花姓を賜る。文禄の役(第一次平壤城の戦い)にて戦死。
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