在地領主論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 04:02 UTC 版)
武士の起源は私営田の在地開発領主であり、抵抗する配下の農奴と介入する受領とに対抗するために「武装した大農園主」とする。 詳細は「辺境伯#」を参照 武士の起源に関する研究は中世の“発見”と密接に関わっている。明治時代の歴史学者・三浦周行らによって日本にも「中世」があったことが見出された。当時の欧米史学では、中世は欧米に特有のもので、近代へ発展するために必須な時代とされていた。アジア・アフリカはいまだ(当時)古代社会であり、欧米のような近代社会に発展することは不可能とされていた。三浦らは、ヨーロッパの中世が、ゲルマン民族の大移動によって辺境で発生した「武装した封建領主」である騎士によって支えられていたことに着目し、日本で平安時代中期から東国を中心とした辺境社会で活躍した武士を騎士と同じ「武装した封建領主」と位置づけ、アジアで唯一「日本にも中世が存在した」と、日本は近代化できると主張した。 この学説は広く受け容れられ、唯物史観の影響も受け、戦後も学界の主流を占めることとなった。武士とは、古代支配階級である貴族や宗教勢力を排除し、中世をもたらした変革者として石母田正らによって位置づけられた。
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