在地系古墳との比較
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 18:44 UTC 版)
「朝鮮半島南部の前方後円形墳」の記事における「在地系古墳との比較」の解説
栄山江流域では、前方後円形墳と同時に羅州を中心として在地系古墳が営まれており(羅州潘南古墳群・羅州伏岩里古墳群など)、2つの墓制が存在したことが知られる。その中で、5世紀中頃までは低墳丘に複数の甕棺・木棺を埋葬する複合梯形墳が採られた。5世紀後半から方形・円形の高塚古墳に変わり、墳丘には複数の横穴式石室が設置された。これらと前方後円形墳とは、横穴式石室の使用、葺石・埴輪状土製品の使用、百済系装身具の使用、木棺の使用などにおいて共通点が存在する。一方で、墳形や、1古墳における埋葬施設の数の点では明らかに相違し、立地においても在地系高塚古墳の外縁部に前方後円形墳が分布するという違いがある。
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