土岐頼次とは? わかりやすく解説

土岐頼次(とき よりつぐ) 1545~1614

太郎法師丸 二郎 左馬助 頼師 宗
◇父:土岐頼芸 子:斎藤頼吉、土岐頼勝、頼高、頼泰
 美濃守土岐頼芸二男。兄頼栄が父と不和となって廃嫡された為、嫡子となる。父と共に家臣西村勘九郎(斎藤道三)に国外追放され、大和松永久秀仕える。1587年豊臣秀吉馬廻衆として仕えて河内500石得る。関ヶ原合戦後、徳川家康仕えて所領安堵された。

土岐頼次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 23:01 UTC 版)

土岐 頼次(とき よりつぐ)は、安土桃山時代武将江戸時代初期の旗本美濃国守護大名土岐頼芸の次男。通称は二郎[2]、小次郎[3]、左馬助[2]、左京亮[1]。後に見松と号した。


  1. ^ a b c d 近藤瓶城 1926, p. 11.
  2. ^ a b c d e f g 堀田 1923, p. 519.
  3. ^ a b 「村山文書」所収、天文19年または20年11月5日付け織田寛近からの書状で使用、桑田忠親『斎藤道三』1973年 新人物往来社
  4. ^ 長男頼勝の子孫は高家旗本として仕えた。
  5. ^ 三男頼泰の子孫は旗本として幕府に仕えた。元禄14年(1701年)に発生した江戸城中で浅野長矩吉良義央に切りかかった赤穂事件の際に長矩を取り押さえた梶川頼照は、頼泰の子である。
  6. ^ a b c 伊東 1932, p. 86.
  7. ^ 「村山文書」による。
  8. ^ a b 阿部 1990, p. 540.


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