土岐頼次(とき よりつぐ) 1545~1614
土岐頼次
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土岐 頼次(とき よりつぐ)は、安土桃山時代の武将、江戸時代初期の旗本。美濃国の守護大名土岐頼芸の次男。通称は二郎[2]、小次郎[3]、左馬助[2]、左京亮[1]。後に見松と号した。
- ^ a b c d 近藤瓶城 1926, p. 11.
- ^ a b c d e f g 堀田 1923, p. 519.
- ^ a b 「村山文書」所収、天文19年または20年11月5日付け織田寛近からの書状で使用、桑田忠親『斎藤道三』1973年 新人物往来社
- ^ 長男頼勝の子孫は高家旗本として仕えた。
- ^ 三男頼泰の子孫は旗本として幕府に仕えた。元禄14年(1701年)に発生した江戸城中で浅野長矩が吉良義央に切りかかった赤穂事件の際に長矩を取り押さえた梶川頼照は、頼泰の子である。
- ^ a b c 伊東 1932, p. 86.
- ^ 「村山文書」による。
- ^ a b 阿部 1990, p. 540.
- 1 土岐頼次とは
- 2 土岐頼次の概要
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