園韓神祭
園韓神祭
園韓神社
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園韓神社(そのからかみのやしろ/そのからかみしゃ)は、園神社(そのじんじゃ/そのかみのやしろ、薗神社)および韓神社(からじんじゃ/からかみのやしろ)の総称。式内社(名神大社)で、現在は廃社。
- ^ 『新抄格勅符抄』10 神事諸家封戸 大同元年(806年)牒。
- ^ a b 『類聚三代格』1 科祓事 延暦20年(801年)5月14日符(薗神社(集成)・韓神社二座(集成)参照)。
- ^ a b 『日本文徳天皇実録』嘉祥3年(850年)10月甲子(20日)条(薗神社(集成)・韓神社二座(集成)参照)。
- ^ a b 『日本文徳天皇実録』斉衡元年(854年)4月癸亥(9日)条(薗神社(集成)・韓神社二座(集成)参照)。
- ^ a b 『日本文徳天皇実録』斉衡2年(855年)9月癸丑(9日)条(薗神社(集成)・韓神社二座(集成)参照)。
- ^ a b 『日本三代実録』貞観元年(859年)正月27日条(薗神社(集成)・韓神社二座(集成)参照)。
- ^ 『長秋記』大治5年(1130年)11月14日条。
- ^ 『康富記』応永26年(1419年)2月14日条。
園韓神祭
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園韓神社の例祭は「園韓神祭(そのからかみのまつり)」と称された。祭は2月の春日祭の後の丑の日、11月の新嘗祭の前の丑の日の年2回行う規定であった。史料上の初見は延暦20年(801年)で、定期的に執行された旨が『日本三代実録』に記録されている。 祭の内容は『貞観儀式』等に詳述されている。当日は、神部2人が庭に賢木を立て、庭火を焚き、御巫が祝詞を奏上。奏上後は笛と琴を奏し、御神子が庭火を廻って湯立舞を行い、次いで神部8人がともに舞う。以上の所作を園神社に次いで韓神社でも行い、終わると再び園神社で和舞を行う。そして大臣以下が退出した後、神祇官が御巫・物忌・神部らとともに両神殿の前で歌舞(神楽)を行うというものである。その神祇官らによる神楽は、一条天皇の時代に制定された内侍所御神楽以前の宮庭神楽とされる。 なお『江家次第』では神部4人が榊・桙・弓・剣を持って舞ったと見えるが、『百錬抄』では大治2年(1127年)の大内裏火災で園韓神の御正体を取出そうとした折に神宝として剣・桙があったと見える。その後、祭は平安時代末以後は次第に衰微したとされる。
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