国際的競技としての普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:24 UTC 版)
「オリンピック柔道競技」および「世界柔道選手権大会」も参照 柔道の試合競技は、オリンピックでは1964年の東京オリンピックで正式競技となる。東京オリンピックでは、無差別級でオランダのアントン・ヘーシンクが日本の神永昭夫を破って金メダルを獲得し、柔道の国際的普及を促す出来事となった。女子種目も1988年のソウルオリンピックで公開競技、1992年のバルセロナオリンピックでは正式種目に採用された。世界選手権は1956年に第1回大会が開催され、女子の大会は1980年に初開催された。日本の女子は明治26年以来長年試合が禁止され、昇段も「形」が中心であった。1979年夏に日本女子の一線級と西ドイツのジュニア選手が講道館で対戦したが、日本は一勝三敗で二人が負傷し、ドイツ選手との腕力の差は日本の柔道関係者に衝撃を与えた。のちに世界中に普及し、国際柔道連盟の加盟国・地域は201カ国に達している(2012年4月現在)。日本以外では、韓国、欧州、ロシア、キューバ、ブラジルで人気が高く、特にフランスの登録競技人口はフランス柔道柔術剣道及び関連武道連盟(フランス柔道連盟)の組織構成の関係上、国際柔術連盟の柔術の競技人口も含んでいるが50万人を突破し、全日本柔道連盟(全柔連)への登録競技人口20万人を大きく上回っている(ただし、幼少期の数など両国の登録対象年齢が異なるため、この数字を単純に比較することはできない)。また、この登録人口そのものに関しても一般に想起されるいわゆる柔道人口とは異なる。これは、柔道の役員、審判員、指導者、選手として公的な活動に参加するために行われる制度で全柔連の財政的基盤でもある。日本国内では、学校体育の授業として経験した人、学生時代に選手まで経験したが、のちに全く柔道着どころか試合観戦程度という人、子供と一緒に道場で汗を流しているが、段がほしいわけでも試合をするわけでもない人など、未組織の人たちがたくさんいるようになった。講道館でも、地方在住者は初段になった段階で入門するのが通例であり、門人、有段者ではあるが、毎年、登録しているとは限らない。したがって柔道人口、登録人口、競技人口、講道館入門者数は意味合いが違う。
※この「国際的競技としての普及」の解説は、「柔道」の解説の一部です。
「国際的競技としての普及」を含む「柔道」の記事については、「柔道」の概要を参照ください。
- 国際的競技としての普及のページへのリンク